藤村克裕雑記帳
2023-05-12
  • 藤村克裕雑記帖235
  • 「マティス展」をみた
  •  “黄金週間”も終わり、そろそろ世間も落ち着いただろう、と思った朝、TVの天気予報も 今日は全国的に晴天! というので、よし! と上野・東京都美術館で開催中の「マティス展」に出かけた。
     いつの間にか、マチスは「マチス」ではなく「マティス」と表記されるようになったみたいなのだが、私としてはやっぱり「マチス」と言わないと“感じ”がでない。中学や高校の「美術」の教科書で「マチス」と覚えたからだろう。今の教科書でどう表記されているか知らないが、大昔、学生だった頃に出版されたのを買って、今も仕事場の書棚にささっている本は『マティス 画家のノート』(二見史郎訳、みすゞ書房、1978年)と「マティス」となっている。なので、1970年代の終わり頃には「マティス」と呼んでいたようでもある。では、いつから、どなたがどこで「マティス」と呼び始めたり表記し始めたものだろうか? そして、それはなぜ? と、こんなことが気になるのは“病気”の兆候かもしれない。近頃、何をやっても集中力の極端な低下が自覚されるのは、年齢による衰えや隣の解体撤去工事の騒音や揺れのせいだけではないのではないのか? やばいぞ、、、。と、あ、ドンドン話の筋というものが脇にそれて行ってしまっている。モンダイは、そういうことではなくて、「マティス展」なのである。
     都美館に向かいながらドキドキしていた。予約が必要だ、というのだが(ホームページとかで)、見物の予約をしていないままなのである。予約以外にも少し当日券がある、というので、当日券はすでにもう売り切れた、と断られるのを覚悟して出かけて来た。こんなことにドキドキしてしまうのも“病気”の兆候かもしれない。
     都美館の窓口に直行し、当日券はありますか、と尋ねたら、ラッキー、オッケーだった。加えて老人割引が効いてお安くなった。近頃、展覧会の入場料が高くなって、とってもつらいので助かった。とっても嬉しかった。
     展示は1900年作の油彩「自画像」から始まる。画面向かって左側の紫の色面の広がりが印象的だったが、今回この展覧会で展示されたマチスの最初期の作品は、次に登場した1895年の油彩「読書する女」だった。マチスは1969年北フランスの生まれだから、26歳の時の作品だ。
     マチスは、1887年から翌年にパリに出て法律を学び、そのまま帰郷して「代訴人見習い」という仕事をしていたが、1890年に体を壊して長期療養し、その間に油彩画を始めて夢中になった。1891年に再度パリに出てきて、アカデミー・ジュリアンでフランス・アカデミーの大親分のあのブーグローに教わり、ボザール(国立美術学校)の受験に備えたものの、1892年の受験には失敗、国立装飾美術学校夜間部に通ってマルケを知った。その年から、あのモローのアトリエにも出入りしつつ、ほぼ毎日ルーブル美術館で模写をして過ごした。1893年にはサン=ミッシェルの河畔のアパートで女性と住み始め、1894年に長女誕生。1895年からボザール(国立美術学校)のモロー教室で学び始めた。1896年には同居してきた女性と離別(長女はどうなった?)。その頃描いた中の一枚が「読書する女」なのである。
     有名な絵である。マチスの画集には大体収録されているが、実物は初めてみた(ように思う)。画集で知っていた絵とは全く違う印象で、あれま、ずっと騙されてきた、と思った。まず、大きさの印象。そして色。実にしっとりとしている。筆触などもありありと見て取れる。当時の若いマチスがそこに息づいている。
     私は、生活のためにパース(透視図法によるさまざまな完成予想図)と呼ばれる特殊な絵を描いて収入を得ていた時期があったので、パース的=図法的・作図的な形状の“狂い”が気になってしまう悪いクセがある。この「読書をする女」では、それがとっても気になる。
     例えば、画面に向かって右に広がる茶色い壁と床との境界の斜めの線的な形状である。壁に懸けられた二枚の額縁の形状から見れば、壁と床との境界線はもっと水平に近いはず。これでは斜めになり過ぎではないだろうか?
     さらに、女性が座る椅子の足と床との関係。向かって右側の足が床と接する位置は曖昧過ぎないか? また、女性の腰は小さ過ぎないだろうか、膝の位置、上すぎではないだろうか?
     そしてさらに、中央左側の茶色いキャビネットと床との境目の斜めの線の具合も斜め過ぎないか? 、、、といった次第。
     はっきり言ってどうでもいいことである。明暗を基調にした色の組み立て、色どうしの関係はとってもきれいなのだから、若きマチスの確かな力量は十分に伝わってくる。
     確かにこの「読書する女」という絵は、どこといって取り立てて言うべきところはない。ないが、私がつい気にしてしまうパースの“狂い”は、“狂い”ではなく、ワザと、確信犯的になされたものではないか、と思われてくる。そのくらい色の魅力がある絵である。
     アクセント的に挿入され、各所に位置付けられているさまざまな白さが確認できるが、それらの明度の高い不定形の散らばりと微妙な調子は的確で、単にアクセントの役割を果たしているだけではない。また、キャビネットの上面に置かれたツボに与えられた鮮度の高い緑やキャビネットのこれも鮮度の高い茶色。さらに、それらを両側から挟み込んで支えるくすんだオリーブ色と茶系の広がり。つまり、左の模様のある壁の色やキャビネットにかけられた布やカルトンの色と、右の壁、それからキャビネット、椅子や床の色との関係。これは、大まかに補色関係である。そこに、女性の髪、リボン、襟、衣服、グラス、額縁といった不定形の黒さが配され、先に述べた不定形のさまざまな白さも配されて、相互に絡み合っている。さらに、マチスに特徴的な「画中画」の要素の萌芽も伺えて実に興味深い。この時期やもっと以前の時期の油彩やデッサンはもっともっと見たい。
     同じ年に描かれた油彩「ベル=イル」があった。ブルターニュのこの島へと旅行したのであろうか。ある種の解放感に支えられた決然とした意志がみうけられ、この絵には、すでにもうマチスが成り立ちつつある。驚異的な飛躍だと言っていいだろう。固有色へのこだわりはすでになく、陰影の表現はなされているものの、それは色相互の関係でなされている。こうなってくると、もうパースのことなんか気にならなくなる。空に明るく広がる雲の切れ目から覗く青空の不定形の“伸び”が筆触や絵の具の物質感を強調して実に大胆だ。「フォーヴィスム」はすでにもう準備万端、といったところだろうか、セザンヌをよく咀嚼していることが伝わってくる。
     同様なことは、会場の入り口に展示されていた「自画像」(1890年)や「サン=ミシェル橋」(1890年)「チョコレートポットのある静物」(1900ー1902年)「べヴィラクアの肖像」(1901ー1903年)でも言える。
     とりわけ「チョコレートポットのある静物」は西陽が差し込んでいるのだろうか、小ぶりな椅子のようなものの上に皮表紙の大きな書物が横たえられ、その上に果物らしき球体と銀製のチョコレートポットが置かれているところを描いたものだ。銀器の表面には周囲の物たちが映り込んでいる様子を描いているが、それらの周囲には左側にフレンチカンカンの女性を描いたらしき絵が立てかけられていたり(画中画)、半開きの扇らしきをあしらった暖簾のようなものが下がっていたり小物入れの箱が置かれていたりしている。そして陽を受けた絨毯であろうか、椅子の下方に思い切った緑色を塗り込めたり、本の小口のところに向けてホワイトをナイフで衝突させたりして画面に“喝”を与え、他との関係を作り替えつつ全体を引き締めようとしている。ありふれた何気ない部屋の様子をモチーフにしながら、取り組んでいることはかなり激しい。
     1899ー1901年作の彫刻作品「野うさぎを貪るジャガー(バリーに基づく)」もまたマチスの非凡な力量を見せつけてくる。バリーというのは18世紀前半に活躍した動物をモチーフにした彫刻で知られる(らしい)。その彫刻を模刻というか手がかりにして作ったわけである。これがいい。そう大きなものでもないのに、形状がうねっている。もうほぼ抽象彫刻である。
     そんなわけで、最初のコーナーでもう息切れしてしまった。地階をめぐるだけでもフラフラになった。彫刻が素晴らしい。もちろん絵も素晴らしい。どれもこれも素晴らしい。ああ、ここ住みたい!
  •  が、残念ながら、どんなふうに素晴らしいかを文にできる力が私にはない。例えばあの有名な「コリウールのフランス窓」(1914年)の“夜の色”の下層には柵や何やら建物のようなものが描かれていたことが見て取れるが、それは実物を前にしてやっと発見できることだったりする。昔、図版で見てびっくり仰天したこの絵は、ただ窓から見える「夜」という名の「面色」を黒い絵の具という「表面色」で扱っただけの作品ではないのだった。ここにある黒は単純な黒ではなかった。また、「コリウールのフランス窓」はもちろん、「金魚鉢のある室内」(1914年)や「アトリエの画家」(1916ー1917年)、「窓辺のヴァイオリン奏者」(1918年)では垂直の形状が単純に垂直ではなく、繰り返し吟味されていることが伝わってくる。やはり、絵、なのである。それにしてもマチスという人は実に過激な人だ。
     フラフラになりながらエスカレータで一階会場に進んで行くと、ここもまたすごいことになっていたので、さらにフラフラになった。一つ書いておくと、「座る薔薇色の裸婦」(1935ー1936年)という実に不思議な絵のことである。この絵は下層に別の絵があったことが見て取れるが、多くが掻き取られ不思議な色合いを現出させながら、幾何学的な線が僅かに、しかし決然と施されて完成している。解説文によると、制作途上の13段階の様子を写真撮影してあるそうだ。なぜ、それらの写真資料が示されないのか? せめて図録に収録してあるなら、どれほど理解が深まっただろう。
     2階会場ではヴァンスの教会を軸にした展示。売店、出口。
     パリのポンピドゥー・センター所蔵のマチスを主に、国内の美術館所蔵の数展を加えて構成した展覧会である。それぞれの時代の代表作と言ってよい作品が並んでいる。ポンピドゥー・センターを訪れたとしても、特別な機会以外にはこうしてこれだけの数のマチスをまとめて見ることはできない。ぜひご覧になられるとよい。私はまた行きたい。
     昼前に入場できて、ヘトヘトになって外に出て駅に向けて歩き始めたら雲行きが怪しくなっていた。お腹がすいてペコペコだったので、文化会館のカフェでいかにも人を馬鹿にしたような呆れた軽食を食べた。お腹がすいたらなんでも食べちゃうぞ、というわけであった。外に出たら今度は雨がパラパラ降り出した。拙宅の最寄駅に着いたら、あれま、土砂降りだった。TVは当てにならない、雷が大暴れしていた。隣の工事は雨で中断していた。

    (2023年5月11日、東京にて)

    「マティス展」
    ・会期:2023年4月27日(木)~ 8月20日(日)
    ・休室日:月曜日、7月18日(火) ※ただし、5月1日(月)、 7月17日(月・祝)、 8月14日(月)は開室
    ・開室時間:9:30~17:30、 金曜日は20:00まで ※入室は閉室の30分前まで
    ・会場:東京都美術館 企画展示室
    ・一般:2,200円
    ・大学生・専門学校生:1,300円
    ・65歳以上:1,500円

    ・主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、 ポンピドゥー・センター、 朝日新聞社、NHK、 NHKプロモーション
    ・後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本

    公式HP:https://matisse2023.exhibit.jp/

    画像:『コリウールのフランス窓』 作者:アンリ・マティス 1914年作
    油彩・カンヴァス116.5cm×89cm
    パリ国立近代美術館(フランス・パリ)蔵
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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