藤村克裕雑記帳
2023-04-28
  • 藤村克裕雑記帳234
  • サボっててごめんなさい!
  • 随分「雑記帳」をサボってしまった。
     今住んでいる建物の耐震補強工事を決めたので、思ってもいなかった細かなことがいろいろ生じてくる。
     拙宅は、古くて、増築を繰り返してきて、ちょっと特殊な、しかし極めて“庶民的な”建物なので、
    工務店を決めて、工事の基本的な方針が決まるまでにさえ長い時間がかかった。つい先日、やっと積算に入るところまでこぎつけたところである。建物に住みながら工事をしてもらうつもりなので、それを考えて、今から少しずつ“断捨離”をしていたら、その最中、お隣さんが急に土地建物を売り払って引っ越しをしていった。 
     仲介の不動産屋さんが挨拶に来て、買主さんはアパートを建てるそうです、と教えてくれた。
    今、業者がお隣さんの解体工事をしている。騒音、揺れ、埃、重機や車両の出入り、などなど。実に落ち着かない。解体が終われば、次は新築工事でまた落ち着かないだろう。
     さらに、昨今の物価の高騰である。建材も例外ではない。職人も不足している、ということだ。耐震補強工事費の見積もりがどのくらいの金額になるか、ゾクゾクするほどのスリルである。
     老いた夫婦には、特別な稼ぎがあるわけでもない。潤沢な蓄えがあるわけでもない。また、家人と私に今のような“普通の”生活ができる時間があとどの位残っているのかもわからない。大きな地震がきても、建物は今のままで持ちこたえるかもしれない。逆に補強工事をしたからといって、絶対に大丈夫、という保証があるわけでもない。今のまま、成り行きにまかせる、という手もあった。それが最も賢かったかもしれない。
     とはいえ、工事を決断したのである。工事をしないまま、地震で潰れてしまうことをいつも心配しているより、工事をしても潰れたのなら、「諦め」もつくというものだ、そういう回路で出した結論である。
     隣の解体工事は、今日ついに、鉄筋コンクリート製の一階の床と基礎部分の取り壊しに入った。テラスから覗いていると、重機を巧みに操って大変な手際のよさである。惚れ惚れとする。作業しているのはたった一人。大きな重機が2台。
     しかし、ずっと見物しているわけにはいかない。私だって忙しいのだ。今日も“断捨離”を続けなければならない。“断捨離”作業をしていると、思いがけないものが出てくる。
     家人が怒り狂ったのは、水粘土の山。
     昔、ある学校に勤務していた時に、不要になった水粘土をもらって、「赤帽」で運んできた。それをビニール袋に入れて解体中の隣家との境の隙間に置いておいたら、雨でドロドロになってしまっていた。それを久々に見つけた家人から、あの粘土をどうするつもり? すぐに片付けて! と厳命が発せられた。なので、資源ゴミの日にどっさり出したら、こんなものは持っていけません、と叱られた。業者に頼みなさい!
     しばらく玄関脇に積んでおいたら、家人が、もうガマンできない!レンガ状の塊を作って乾かせば少しは軽くなって扱いやすいはず、と言って、直方体のプラスチック容器を使ってレンガ状の塊に小分けする作業を始めた。7〜8個作ったところで、疲れた、と言ってその日は作業を中断した。そのまま知らんぷりもできないので、残りは私が作業して、晴れた日に外に出して乾かした。玄関脇にそれが積んである。資源ゴミの日にひとつふたつ、、、と出していけばいつかはなくなっていく、という作戦である。
     また、家人が怒り狂った(怒り狂っている)のは本の塊である。学校勤めをしている時に爆発的に増えてしまった。悪いことに、本を置いているところも耐震補強工事が必要だ、と言われてしまった。絶望的な気持ちになりながら、仕分け作業をするが、捨ててしまうことができない。どうすればいいか、頭を抱えている(その後、本の場所は工事しないで済ませる、ということにしてもらったので、少し気が楽になった)。
  •  思いがけない本が出てくるので、つい読み始めて作業が滞る。先日は、嵐山光三郎という人の本がいろいろ出てきた。そういえば私はこの人の文章がなぜか好きで、こんなキレのいい文章が書けたらいいなあ、と思っていた時期があったのである。
     中の一冊、『追悼の達人』(新潮社、1999年)を手にとったら、なんだか、みんな死んでいくなあ、としみじみと思った。誰もが例外なく死んでいくのだから、今更おかしな感想だけど、最近だと、やっぱり大江健三郎。一度だけ、ご本人を見たことがある。神保町の都営地下鉄の階段を光さんと一緒に降りてきた。光さんを気遣う様子が何とも言えない優しさに満ちていた。坂本龍一は私にはほとんど関係ないけど、彼も死んじゃったらしい。
     高山登さんも1月8日に亡くなった。
     つい一昨日、先日亡くなったという富岡多恵子の話をある人から聞いた。何年か前に亡くなった八田淳さんの病室の枕元に彼女の本が何冊か紛れていたことを思い出した。
     そんなわけで『追悼の達人』という本だけど、著名な文学者が亡くなったときに書かれた追悼文を嵐山光三郎が探して集めて読み込んで、それをもとにして書いた本だ。49名分ある。着眼がとても面白い。さすが著名な編集者だった人である。
     例えば高村光太郎の項。「高村光太郎が七十三歳で没したとき、」と始まるので、え、今のオイラとかわらないじゃないの、と驚いてしまう。酒も腕っぷしも強くて、アメリカでケンカを売られても勝った、という。「東京美術学校の学生のころ、鉄アレイを使ってボデイビルに励んだ」。知らなかった。筋肉は大事である。この年齢になると身に沁みる。梅原龍三郎の弔辞が全文引用されている。どこで見つけてきたものであろうか。「文芸」臨時増刊「高村光太郎読本」(1956年6月)という本のアンケート部分を巧みに利用してさまざまなことを考えさせてくれる。十和田湖の湖畔のあの裸婦像のきっかけを作った当時の青森県知事が太宰治の実兄だったことなどさらりと示していたりして、プロの技に舌を巻くことになった。
     これでは“断捨離”が進むはずがない。
     そんなわけで、エゴン・シーレさえも見に行かず、閉じこもっている。時々外に出ると、暑いくらいだったりして驚いたりする。足腰が弱まっていくのが自覚できる。
     今日の騒音と揺れは一段とすごい。テラスから見ているとますます惚れ惚れとする。

    (2023年4月28日 東京にて)
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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