藤村克裕雑記帳
2022-07-05
  • 色の不思議あれこれ219
  • 灼熱の町田に行ってきた
  •  暑すぎる日が続く。でも、めげずに行ってきた。町田市立国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本ー2つの民衆版画運動」展。
     例によって会期終了寸前だった。滑り込みセーフ、と思ったが、滑り込むのが遅すぎた。
     図録が売り切れだったのである。えーん。
     あの圧倒的な情報量の展示は、図録なしでは、もうそのほとんどを思い出せないくらいである。きっと図録に図版や記載があるだろうと思って「流して」しまった展示のところもあった。図録売り切れ、増刷せず、との掲示を見たときはボーゼンとしてしまった。
     暑さにめげながらあの長い階段を登り、影を探しながら東口に辿り着いて小田急線各駅で涼みながら帰宅して、「メルカリ」とか「オークション」とか「日本の古本屋」とかに、売り切れた図録が出ているのではないか? と思って調べたが、やっぱりなかった。えーん。増刷してほしい!
     ともかく圧倒的な情報量であった。すごい展覧会だったのである。ヘトヘトになった。

     1947年2月に、1930年代の中国の抗日戦争下での木刻(木版画)運動の“成果品”が東京と神戸で紹介され、それは、有志の手によって全国各地を巡回するほどに、人々に共感を持って受け入れられた、ということから展示は始まっていた。連合国軍(ま、アメリカ軍だが)の占領下の日本での出来事である。
     展示されていた中国の木刻は、実物をほぼ初めて見た。今見てもそれなりの迫力である。当時の人々が共感したワケも理解できた。
     1947年2月はGHQがゼネスト中止を指令した時でもあったはずだ。それは、占領軍総司令部が日本統治の方向、つまり一定の民主化は推進するが労働運動・社会運動には厳しい制約を課す、という方向を明瞭に示した時だったはずである。そうした時に人々が受容する木刻画は大きな意味を持っただろう。
     木刻運動に影響を与えた(らしい)ケーテ・コルヴィッツの銅版と木版との展示は、木版ならではの強さをシンプルに示すものとして、木刻へのその影響関係を示しながら、実に巧みな構成だと感心させられた。
     こうした木刻の展覧会を全国に巡回していく活動の中で1949年10月に「日本版画運動協会」が結成され、木版による版画運動が活発化していった(らしい)。中国木刻からの流れからすれば、彼らが農民運動や労働運動の現場に関わっていくのは自然なことだった。滝平二郎、太田耕士、鈴木健二、新居広治、上野誠などの名が見える。また「押仁太」とのメンバーの頭文字から作り上げたグループの活動の紹介もなされている。事前の想像以上に興味深く見た。
     占領軍の日本統治は1952年のサンフランシスコ講和条約批准まで続いた。1951年には日米安保条約が締結されていてアメリカ軍の駐留が継続され現在まで続いているワケである。1950年には朝鮮戦争が勃発し、レッド・パージが始まった。火炎瓶で対抗した人々もいた。こうした激動の中、いわゆる「55年体制」も固まっていったのである。
     木版による版画運動も、例えば若い画家たちによるルポルタージュ運動などと無縁ではなかったはずだが、展示では微かな“ほのめかし”にとどまっていたのがいかにも残念だった。会場面積の制約もあったに違いない。とはいえ、『週刊小河内』の現物を初めて見ることができた。ケースの中に“表紙”だけだったけど。中が見たい!
     やがて自然に、木版画を教育活動に導入する「教育版画運動」や児童生徒が“生活を見つめるリアルなまなざしを獲得すること”をテーマとする「生活版画」へと展開していく。「生活綴り方」との連動などが紹介されていた。
     1950年代の「サークル」活動における木版画についての展示は圧巻であった。版画サークルとしての活動はもちろん、ガリ版印刷はじめ印刷と連動した木版画のさまざまな活用、ホッチキス留めから製本されたものまで、各種の冊子の発行などが全国各地で展開していて、眩暈がするようであった。メディアを自分たちの手で作り上げていく迫力がグイグイ伝わってくる。
     見れば、それらの中に若き中西夏之氏の「新聞」との見開きがさりげなく含まれていた。
     母袋俊也氏が昨日Facebookにその写真を投稿していて私はびっくりしてしまった。母袋氏に尋ねると、なんと撮影可能だったのだそうである。ああ、中に気を取られて、気づかなかった、、、。
  •  だからと言って、悔し紛れに言うのではないが、あのように、資料として書籍や雑誌や冊子がケースの中にうやうやしく展示されていることが多々ある。が、見たいのは表紙だけでなくて中身も、である。現物の展示と共にせめて白黒コピーのホッチキス留めとか冊子状に整えたものを置いて、観客が手に取って見ることができるようにするような配慮があってもいいのではないか? 
     かつて一度だけ、川崎の岡本太郎美術館で土方巽の展示があったとき、小林嵯峨氏のノートが現物の展示と共に、そのようにはからわれていて感動したことがあった。
     あ、それからもう一度。近年、「なるせ美術座」での黒田康夫氏の写真展の時、松澤宥氏のメモ帳をコピーで再現して手に取って見ることができる展示をしていた。素晴らしい。
     普通にこうした配慮をしてほしい(私が「スペース23℃」で展示した藤原和通展の時にはそうしたぞ)。
     それにしても、こうした資料群がよく保管され続けていて、この展覧会企画者はそれらをよく探し出してきたものである。素晴らしい。ああ、図録がほしい! 遅く行った私が悪い。
     話が逸れちゃったけど、一時は国際交流など盛り上がったものの、木版による版画運動は1950年代半ば過ぎにはほぼ収束し、あとは作家個人の展開に委ねられたようである。鈴木賢二、小口一郎、上野誠、景山弘道、村上暁人、由井正次、小林喜巳子、滝平二郎などの作品が展示されていた。知っていた人も初めて知った人もいた。
     知らなかった人のうち一人について。戦後すぐの時期に「リアリズム論争」と言うのがあったが、その口火を切った“モダニズム完全否定論者”の林文雄、その夫人が小林喜巳子という人だったことを初めて知った。この人の作品は面白いと、思った。林氏の文は硬直していて、ついていけなかったのだが、、、。
     最後の部屋に「教育版画運動」が身を結んで全国各地で展開した小中学校での木版画教育、とりわけ共同制作の成果品や資料の展示があったが、その前で色々考えさせられた。テレビやゲーム、マンガ、アニメなどからの影響などについて。「生活版画」からの距離について。
     それにしても、今の、あの「朝ドラ」のタイトルバックには驚いた。あれも「版画」といえば「版画」と言えるかもしれない(明らかに木版画ではないが)。文字情報なしであのタイトルバックの映像を見たい。
     ついでに書いてしまうが、実につまらないドラマになっている。視聴者を舐めまくっている。その舐めた作りや仕草が面白いわけでもないから、始末におえない。あのタイトルバックがかわいそうだ、と思うのは私だけだろうか?
    (2022年7月2日、東京にて)
     
    画像
    ・上段:本展チラシ
    ・下段:東京都府中市立府中第八小学校6年生20名(指導:前島茂雄)《新宿西口駅前》1970年、木版、900×1800mm、府中市立府中第八小学校蔵

     
    「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動
    工場で、田んぼで、教室でみんな、かつては版画家だった」
    ●会期:2022年4月23日(土)~7月3日(日)
    ●会場:町田市立国際版画美術館
    ※すでにこの展示は終了しております。
    公式HP:http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2022-512
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
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