藤村克裕雑記帳
2021-10-18
  • 色の不思議あれこれ208
  • ゴッホ展を見てきた
  •           ゴッホ展を見てきた

     家人が予約してくれたので、上野の東京都美術館で開催中の「ゴッホ展」を見に行くことができた。家人がやってくれるとはいえ、事前に予約してその日に美術館を訪れるのは面倒だ。でも、予約して入場日時に縛られる、ということに次第に慣れてくると、ムッチャ混み合って入り口前で行列に並んだりするよりは、はるかにいいかもしれない。
     今さらゴッホでもないだろう、という人がいたりするが、私はそうは思わない。何度でも見たい。ゴッホやセザンヌやスーラは全部見たい。
     スーラが一点あった。横にシニャックが並んでいた。かなりいいシニャックではあるが、申し訳ない、シニャックには目が行かない。並ぶとその違いは一目瞭然であった。
     他にミレー、ファンタン・ラトウール、ルノアール、ピサロ、ルドン、アンソール、グリス、ブラック、セヴェリーニ、モンドリアン など。モンドリアンにも興味をそそられた。
     入場後の最初のところに「療養院の庭の小道」(1989年)があった後は、なかなかゴッホが出てこない。それもそのはず、へレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションからの紹介である。「ゴッホ展」とはいえ、出品作のうち4点のゴッホ以外は、クレラー=ミュラー美術館の所蔵作品で構成されている。クレラー=ミュラー美術館には行ったことがない。そういう人のためにパネルの説明が続いていたが、素通りした。
     エスカレーターで上の階に行くとゴッホのデッサンが並んでいる。何かの本で10歳くらいのゴッホが描いた風景のデッサンの図版を見てたまげたことがある。手慣れていて大人みたいで、ものすごく上手いデッサンだった。最初から違っているんだなあ、と思ったものだ。おそらく「お手本」を写したものだろう。横尾忠則氏は、5歳の時に絵本を見て巌流島での武蔵・小次郎の決闘場面を描いたようで、それは、今東京都現代美術館で開催中の大展覧会にも出ていたから、これにも驚かされる。つまり、最初から違っているのだ。
     ゴッホのデッサンは実物や実景を前にして描いたものだ。主に木炭で描かれており、ほかの素材も動員されている。大変な集中力である。
     また、油絵もある。逆光の設定を含めて、明暗による現れに目を凝らしている。暗い場所=室内が舞台になっているので、おのずと絵も暗い。暗さの中の調子の移り変わりや変化を、実に繊細に捉えている。「麦わら帽子のある静物」(1881年)では固有色同士の関係にも目が向いていて、この時期には珍しい表情の絵になっている。
     やがてパリに移って印象派と出会い、色彩が開放され、目覚ましいばかりの展開が始まっていく。モンマルトルを描いた絵では、あたりが農村のようでびっくりしてしまう。「石膏像のある静物」では、なんでもモチーフにして慌ただしく制作している様子が垣間見える。 
     アルルでの「黄色い家(通り)」には煙を吐く列車が描かれていることに気づいて驚いてしまった。
  •  さらにエスカレーターで上階に移動すると、“ゴッホらしい絵”が並んでいて圧巻である。私は、とりわけ「緑のブドウ園」(1888年)に圧倒された。
     私は、初めてこの実物を見た(と思う)。この絵の姿が目に飛び込んできた瞬間、一体、何が起こったか分からず、戸惑った。
     画面は、半分より上方で水平に区分されていて、画面上方は青系の広がりが支配的だが、下方には、あたりに置かれた絵具の物質感と得体の知れない色彩の絡まりがあって、細部への凝視を強いている。目は、自然に画面下方の探索を始めている。その領域にあるのは、描かれた対象物が示されているというより、短い筆触の肉厚の絵の具そのものだ。筆触の置かれ方には、渦巻きとかコントウ—ル・ハッチングとかというような“規則性”さえ認めることができない。実に複雑な様相を呈した筆触である。
     うねるようなこの領域に、さらに赤色や黒色の肉厚の細線がのたうつようにあちこちに伸びている。赤線には、その陰を示すかのような黒の細線が添えられているので、いっそう際立った表情を見せている。
     画面の一番下方には、明度の高い名付けようもない緑味や紫味、黄色味、赤味を帯びた複雑な各種のグレイを短い筆触で塗り込んだ不定形の領域があるが、そこに丸味のある様々な緑の形状の点がこれも比較的肉厚に遠慮会釈なく置かれて、その上部の得体の知れない領域と繋がっている。あちこちに小さく紫色の筆触も認めることができたりして、目を捉えて離さない。
     画面上方の青系の広がりの下方には、黒い細線が左から右へと水平に伸びていてその下には横方向に細長い黄緑の領域を認めることができる。黒細線の水平線の上部には小さく明度の低い青で樹木のシルエットが描かれ、赤い屋根、白かべの建物も小さくアクセント的に描かれているのにも気づくことになる。青色の領域には羽を広げて舞う何羽もの鳥のような小さな形状も認めることができる。この辺りで、これはどうやら上方は空、遠くまで広がる草地とその手前に何か植物が植えられている様子を描いた絵なのではないか、と見当がついてくる。遠くまで広がる、といえば、黄緑色の領域を分断するように割り込む「一点透視の畝」の描き込みが果たしている役割も大変大きい。このあたりで目はやや緊張を解きながら横のキャプションを見て、ああ、葡萄畑か、とその説明を受け止めるのである。
     さらに画面を見れば、赤いパラソルをさしたご婦人なども配されていたのを確認して、赤や黒の細線は葡萄の蔓、見ればあちこちに幹も描かれており、なるほど、色づき始めた葡萄畑に農民たちが働いているところに、ご婦人たちが訪れてきたところらしい、とまずは安堵するのである。
     安堵するのではあるが、その筆触の的確さは、さすが、というべきであろう。  
     この絵の表情は、晩年のセザンヌが描いた例えばサントヴィクトアールの連作を思い起こさせ、多くのことを考えさせるが、それを記述する力量が私にはない。
     このフロアの“ゴッホらしい絵”には、次々に惹きつけられたり“疑問”を感じたりして、気がつくと長い時間を費やしていた。
     急ごしらえの売店で図録などを販売していたが、絵葉書を数枚購入して満足し、「黄色い家」や糸杉の“ぬいぐるみ”(?)に思わず手を伸ばしては見たものの、我慢して帰路についた。ヘトヘトであった。さすがゴッホ。
    (2021年10月14日 東京にて)

    「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
     会期:2021年9月18日(土)~12月12日(日)
     会場:東京都美術館
     時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
     休館日:月曜日、11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
     10月15日以降の金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
     
     公式HP: https://gogh-2021.jp/




  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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