藤村克裕雑記帳
2014-12-09
  • 色の不思議あれこれ022
  • 宝塚歌劇団月組公演を見た日(2)
  • 座席は二階席中程。ステージが谷底に一望できる。こんなこともあろうかと準備した双眼鏡で、ステージ手前の楽団の準備の様子などを見物などしているうちに開演になった。座席はびっしり満員。
    それからはもう、めくるめく宝塚世界。幕間を挟んで約3時間、私は完全にタカラヅカ初体験だったので、びっくり仰天。腰が抜けるような気がした。これでもか、これでもか、と攻めつけられ、ま、まいりました、と降参しようとしてもなお、これがタカラヅカというものじゃ、とだめ押しをされ続けるのだった。

    第一部はミュージカル『PUCK』(パック)。森で生まれた妖精「パック」が人間の娘に恋をして罰を受け、人間界で言葉を発せずに一年間過ごすことを求められる。「プック」と呼ばれながら小間使いとして一年間を過ごすが、しかし、あと数時間というところで森を守るために言葉を発し、それまでの記憶を奪われて人間にされてしまう。そして恋した娘に助けられながら一緒に今後を形作ろうとする、とそんな話。最後は人間「パック」になっている。もちろん、展開は、もっと複雑だ。
    何と言ってもテンポが速い。そのうえ、二階席だからか、はじめてだからか、キャラクターの区別がなかなかつかない。私は遠近両用眼鏡なので、遠く下方のステージを見るときはあごを下げて上目遣いにしなければならない。その姿勢がつらい(やがて、眼鏡を鼻の下方に下ろしてしまえばよい、と気付いて、そのつらさからは解放された)。はじめのうちは、話のスジを追うのに精一杯のありさまだった。群れをなしてのダンスなど確かに大迫力だが、どこを見ればよいか混乱してしまい、あげく、何人位ステージにいるか数えたりもした。ところが、70人位まで数えるともう次の場面になってしまう。ともかく、展開が速い。どの台詞もよく聞き取れるが、誰の台詞なのか、はじめのうちはなかなか区別できなかったのが、やがて、分かってくるのが不思議だった。舞台装置、照明など、さすがに無駄がなく、実に効果的で感心させられた。最終盤の稲妻の音と光と暗転とが瞬時になされるタイミングなど、すごかった。その雷にうたれて記憶を失いぼろぼろになって倒れているのを発見されて登場した「パック」の靴がピカピカだったのは、いかにもタカラヅカらしいと思った。どんなに服や髪がぼろぼろでも、靴だけは汚れていてはいけないのであろう。
  • 第二部は、ショー『CRYSTAL TAKARAZUKA』。
    いやー、びっくりしたぞ。絢爛豪華、煌びやかそのもの。サービス精神満点。これでもか、これでもか、とのおもてなし。歌やダンスはもちろん、音楽、装置、照明など、本当にお腹いっぱいになった。幕間に蒸しパンなどを頬張ったせいもあるが。
    一方で、衣装のピカピカする光り物の分量や背負った羽の分量でそれが示されていた「トップ」の人は大変だろうなあ、と妙なことも考えてしまった。まさに命がけだろう。「トップ」だけでなく、キャストはみんな命がけだ。すごいなあ。
    それにしても、この公演を支えるスタッフは、会場整理のおねえさんたちや楽団員たち、私の目に見えた人々を含めて、全部でどの位の人数がいるのだろう。また、衣装の早変わりなどを支える仕組みはどうなっているのだろう。これらは、私の想像を超えている。すごいなあ、と思うばかりであった。
    帰路、ロビーから持ち帰ったフリーペーパーやチラシを眺めるともなく眺めて、タカラヅカが、こうした公演はもちろん、公演のDVD、ブルーレイ、各種グッズの販売、専門チャンネルの運営など、じつに多面的な活動をしていること知った。有名な音楽学校も重要な活動のひとつだろう。家人が無料チケットを入手できたのもじつはタカラヅカの活動の一環だと思われる。私は、その活動の最末端にこうしてかかわって、びっくり仰天しているわけである。
    タカラヅカに通い詰めれば、ちょうど“スーパーレアリズム”のようにびっくりしなくなって、冷静にあれこれ観察できるようになるのだろうか。 
    (2014年12月6日、東京にて)
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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