藤村克裕雑記帳
2022-10-18
  • 藤村コラム229
  • 「実験映画を見る会」
  •  前日に深谷駅に降り立ったばかりなのに、10月17日(日)には、武蔵小金井駅に降り立って、南に向けてテクテク歩きはじめたのである。やがて川があるはず。その川の脇の細道を東に行けば、目指す「実験映画を見る会」の会場=「小金井市中町天神前集会所」があるはずだ。
     川があった。お、この川が野川。川沿いの細い道を東にさらに行く。野川といえば、古井由吉だ。いつだったか、『野川』という小説は稀に見る大傑作だ、と言う友人に促されて読んだ。
     それにしても、「小金井市中町天神前集会所」とは、渋すぎる名称の会場である。こうした会場を探し出して、映写機とフィルムを持ち込み、実験映画の上映会をやってしまう、このセンスは、本当に素晴らしい。加えて、参加費は無し、つまり完全無料。なんということでしょう(とTV番組「ビフォー・アフター」のナレーションの口調で)。
     仕掛けたのは、日本映像学会のアナログメディア研究会。
     デジタル化の大波のなかで、アナログメディア、つまりフィルムによる映像の大事さについてさまざまに研究し発表し啓蒙してきている人々である。各所で自家現像による8ミリ映画作りのワークショップなどをはじめとする活動も行ってきているし、今回、彼らが初めて試みた「実験映画を見る会」もそうした活動の一環であろうか。
     私は、この研究会の代表の太田曜氏とはずいぶん昔からの知り合いである。
     あれはいつごろのことだっただろう。『野川』を読んだそのはるか以前のことだったような気がする。太田氏の家で「実験映画」というものをまとめて見せてもらったことがあって、初めて見たそれらの面白さに、ついつい、私は目覚めてしまったのである。
     太田氏はその頃(ここ数年はコロナで控えているようだが)、日本のリアルタイムの実験映画をフランスに持って行って、フランスのあちこちで上映会をやる、ということを定期的に続けていて、私がその時見せてもらったのは、彼がフランスへ持参する複数の作品を出発前に“検品”するための試写だった。太田氏が誘ってくれたので立ち会えたのである。実に幸運であった。そのようにして当時の日本の「実験映画」をまとめて見て、とても面白いものだなあ、と思ったのだった。
     その時は、映写の合間に、太田氏のフランスやドイツでの体験の話も聞くことができた。彼はフランスとドイツで映画を学び、「パリ・青年・ビエンナーレ」にも出品したことがある。彼の先生のペーター・クーベルカという人についての話には衝撃を受けた。
     以来、太田氏から、奥山順一という人や末岡一郎という人や小池照男という人などを教えてもらったし、「イメージ・フォーラム」という当時四谷にあった(今は渋谷に移った)スペースのことも教えてもらったし、「イメージ・フォーラム・フェスティバル」という催しについても教えてもらったし、国立の「キノ・キュッへ」での有志による映画の研究会のことも教えてもらった。それらを通して、西村智弘という人や石田尚志という人を知った。末岡一郎という人からはオーストリアのマーティン・アーノルドという人の作品も見せてもらった。さらに別ルートで知り合った黒川芳朱という人や水由章という人からもスタン・ブラッケージという人の作品をたくさん見せてもらった。それぞれがとっても懐かしい。最近、水由氏から見せてもらったボカノウスキーの映画については、この「雑記帳」にメモしたので、読んでくださっている方もおられるかと思う。また、京都のある学校に勤務してから、相原信洋という人を知って親しくしてもらったが、相原氏は急に亡くなってしまって、相原氏が真剣に計画していた京都・今出川通での乾物屋を私が店番などで手伝う話も無くなってしまった。
  •  そんなわけで「実験映画を見る会」なのだが、私が会場に到着して椅子席に座ってから、若い人たちが次々にやってきて、準備された椅子は足りなくなり、立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。代表の太田曜氏もあまりの盛況に戸惑っていたように見えた。
     上映されたのはいずれもフィルム映画。
     オスカー・フィッシンガー『ラジオダイナミクス』(1942年)、ブルース・コナー『ア・ムービー』(1958年)、ジェームス・ホイットニー『ラピス』(1963年〜66年)、ブルース・ベイリー『オールマイライフ』(1968年)、同『カストロ・ストリート』(1966年)、オーエン・ランド s/k/a ジョージ・ランド『ゴミ、エッジレター、スプロケットホールなどが現れる映画』(1965〜66年)、トニー・コンラッド『フリッカー』(1966年)、相原信洋『やまかがし』(1972年)、鈴木志郎康『日没の印象』(1974年)、松本俊夫『アートマン』(1975年)、奥山順一『LE CINEMA 映画』(1975年)、谷川俊太郎『休憩』(1977年)、伊藤高志『SPACY』(1980年)。
     今、改めてプログラムを見ると、よく配慮された構成で、無料なのに、実にありがたいことであった。入場時に解説冊子がこれも無料で(!)配布され、それぞれの作品の上映前には太田曜氏と西村智弘氏の解説があって、いたれりつくせりであった。
     いずれも興味深い作品だったが、とりわけトニー・コンラッド『フリッカー』は私にとっては伝説の作品。あのTVアニメ“ポケモン事件”以来、フリッカー(画面を激しく点滅させること)には注意深くなっているらしく会場で繰り返し注意が促されていたのが印象的だったが、作品は実に面白いものだった。タイトルバックと冒頭の注意書きを除けば、「すぬけ」(画面が真っ白なだけのコマ)と「くろみ」(画面が真っ黒なだけのコマ)とだけによって構成された映画である。映画は一秒間に24コマ。その一コマ一コマに「すぬけ」と「くろみ」とのいずれかが与えられただけの30分(タイトルバックと冒頭の注意書きのカットを含む)。スクリーンの点滅を見続けていると、次第に格子模様のようなものが見えてきて、青色や緑色のごく小さな複数の粒のようなものも見えてくる。激しすぎる点滅効果がそうさせるのだろうか。全く想像もしていなかった見え方に驚いた。一体どうして?
     もともと映画は、目の仕組みの一つであるところの「残像」を利用することによって、映写される像の動きが滑らかに見えるように工夫されたメディアである。コンラッドの『フリッカー』の場合、一秒間に24のフレーム(=コマ)の中に配された「すぬけ」と「くろみ」との激しい入れ替わりで生じる「点滅」という“現実の動き”と、それによって目の中で生じる“残像”の「点滅」との間に、もう一つ、モアレというか干渉作用のようなものが生じ、それが格子模様や色の粒として見えている、ということだろうか。
     残像といえば、谷川俊太郎『休憩』は3分間のとんちの効いた実におしゃれな作品だったが、白抜き文字の背景の鮮やかな赤色の拡がりは、もともとは黒色で、それが経年劣化して生じた色だという説明が西村智弘氏からあった。ならば、最終盤に登場した白と黒とのブチの猫の黒の部分が赤くなかったのはなぜか? そこが実に不思議なのだが、それはそれとして、その赤色の拡がりによって、映画終了後明るくなった会場の壁にはしばらく緑色の残像が生じていた。
     そういうわけで、実に面白い「会」であった。この「会」は今後も続けられるらしい。アナログメディア研究会、すごいぞ!
     あ、点滅による残像、といえば、今、急に思い出した。
     ジェームズ・タレルの『ガスワークス』。長谷川祐子氏がその残像についてもどこかに書いていた。
     それから、藤原和通氏の「点滅キノコ」。右の耳と左の耳とに交互に音を届け、その“点滅”の速さを操ることによって、音像を3Dにする装置。
     とはいえ、タレルのこと、『ガスワークス』のこと、藤原氏のこと、「点滅キノコ」のことについては、今回も触れている余裕がない。ごめんなさい。
    (2022年10月17日、東京にて)

    「実験映画を観る会 vol.1」
    日時:2022年10月16日日曜日(終了しました。)
    講師:太田 曜、西村 智弘
    会場:小金井市中町天神前集会所
       〒184-0012 東京都小金井市中町 1 丁目 7-7
       JR中央線「武蔵小金井駅」南口から徒歩約14分
    http://shink-tank.cocolog-nifty.com/perforation/2022/10/post-b3da45.html


  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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