藤村克裕雑記帳
2025-07-17
  • 藤村克裕雑記帳284
  • 「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time UNfolding Here」展を見た(4)
  •  岡﨑氏が複数のパネルを連結させた絵画=「パネル絵画」を制作するようになったのは「2015年頃から」(『視覚のカイソウ』展の図録の記述による)というのだが、そのいささか暴力的な印象さえ感じさせる岡﨑氏の一連の作品群を、私はどう見ていいか分からず、判断を保留したままここまできた。その「パネル絵画」について、岡﨑氏は会場に掲げられたコメント文で次のように言っている。
     ・「パネル絵画」を本格的に展開し始めたのは2022年以降。
     ・それまでは、「縦長のパネルを水平に並べる程度の扱いに」留まっていた。
     ・この形式を使うのは、「大きな画面を作るために画面を分割する必要性」があったからでもある。
     ・それだけではなく、「画面にあらかじめ物理的比例関係を組み込んでおく」という理由がある。
     ・制作過程では、「パネル同士の隣接関係は可変的で何度となく入れ替えられる」。
     
     分かりにくいので、私なりの解釈を加えて少し補足したい。
     「大きな画面を作るために画面を分割する」というのは、「大きな画面」を分割して得ることができた小さなパネル同士を組み合わせて最終的にもう一度「大きな画面」を作り上げる、という意味だろう。
     「画面にあらかじめ物理的比例関係を組み込んでおく」というのは、パネル同士の組み合わせ方の可能性をあらかじめ想定している、ということだろう。とはいえ、一度に全ての可能性を探るわけにはいかないから、「縦長のパネルを水平に並べる程度の扱い」から始めたのだろう。
     制作過程において「パネル同士の隣接関係は可変的」、ということは、制作している時にはパネルを入れ替えたり、上下逆さまにもしたりしているが、岡﨑氏が完成したと判断した時以降には、パネル同士の結合は固定してもう入れ替えをしないし、させない、ということだろう。

     そんなことを念頭に置いて、たとえば「パネル絵画」と取り組み始めて間もない2016年の作品を見てみる。3階フロアの「パネル絵画」群と比べる意味においてもこれは大事なことだ。「パネル絵画」をはじめて見た時、どう見ていいかまったく分からなかった、ということもある。そのリベンジを試みたい。長いタイトルを書き(打ち)写す。


    2点組の作品である。

     右側の作品
    「あなたはこの水を乾かし、あるいは飲み干すだろう。けれど決して水は滅びない。水は姿を変え移動しただけである。水は乾くことなく、水がのどの渇きを癒すのだ。と似て、私の指一本いや手足を切り落とそうと、わたしは切り落とせない。姿を変える勝手気ままが水ではなく、わたし(の赤い水、血)ではない。水の中に水の姿に関わらぬ何か、として水の霊が宿っている(水が弾きだすと波と早合点しないように。波は音楽のようにあちこち拡がり増えたり減ったりするが、水の霊は増減せず分割もされない)。わたしは水の中にあり、泳ぎ、まどろみ、そして目覚める」
     カンヴァスにアクリル絵の具、210.0×260.0×7.0cm。(この大きな作品=通常のカンヴァスのサイズでいうと400号弱の大きさになるが、ここで使われている縦長のパネルは4枚。寸法は二種類、210.0×108.0×7.0cm、210.0×72.0×7.0cm。それぞれ各2枚である。横幅の寸法が3対2の比率になっており、完成時には、両側に幅広のパネル、中央に幅の狭い方の2枚のパネルが結合されている。また、幅広のパネルの縦横の比率はほぼ2対1、幅が狭い方のパネルの比率はほぼ3対1である。)

     左側の作品。
    「宙空の箒/アウフヘーベン」
     カンヴァスにアクリル絵具、25.0×18.0cm(会場で配布されていた「作品リスト」には厚みの寸法の記述がない)。「ゼロ・サムネイル」シリーズとほぼ同一の寸法と形式の作品だろう。「ゼロ・サムネイル」のシリーズには奇妙な“額縁”がついているが、この作品も例外ではない。

     右側の作品と左側の作品との2枚組の作品は、今回の会場では仮設壁同士が成したコーナーを挟んで展示されているので、2点組というより、ひとつずつ独立した作品としても見える。2016年の制作というから、先の岡﨑氏のコメント文に従えば、「縦長のパネルを水平に並べる程度」の段階で、「パネル絵画」の可能性をまだ本格的には展開していない時期の初期作品である(2022年以降の作品は3階フロアにまとめて展示されている)。
  •  右側の大きな作品、「あなたはこの水を乾かし、あるいは飲み干すだろう。けれど決して水は滅びない。水は姿を変え移動しただけである。水は乾くことなく、水がのどの渇きを癒すのだ。と似て、私の指一本いや手足を切り落とそうと、わたしは切り落とせない。姿を変える勝手気ままが水ではなく、わたし(の赤い水、血)ではない。水の中に水の姿に関わらぬ何か、として水の霊が宿っている(水が弾きだすと波と早合点しないように。波は音楽のようにあちこち拡がり増えたり減ったりするが、水の霊は増減せず分割もされない)。わたしは水の中にあり、泳ぎ、まどろみ、そして目覚める」から見ていこう(それにしても長い作品タイトルだ)。
     この作品との出会い頭の私の正直な印象は、わさわさとしていて、正直どう見ればよいかわからない、といったものであった。
     この“わさわさ感”には、どこかしらで出会っているような気がして、今回、いろいろ考えてみて、故井上有一氏の書作品=「臆横川國民學校」や「仏光国師偈」と似たところがあることに気がついた。
     井上有一氏は、いうまでもなく文字を書いているのであり、文字には筆順があり、ふつうは縦書きで、紙の右上から下へ一文字ずつ書いて次の行に移っていく。だから、この“規則”に従って「臆横川國民學校」も「仏光国師偈」も、これを観客は読むことができる。
     よく知られているように、「臆横川國民學校」は、きれいに、とか、美しく、とかいうようには書かれてはいない。言葉の内実を受け止めて、それをまさに書く時間を惜しむようにものすごい速さで書いたように見える。「臆横川國民學校」の姿は、生やさしいものではない。そのことがいくつかの写真図版ごしにも伝わってくる。
     1945年3月10日未明、アメリカ軍の空襲で生じた墨田区横川國民學校(墨田区立横川小学校は現在も同じ場所にある)での避難民約千人の惨状と、教員として宿直でそこに居合わせ一度は仮死状態になりながらも奇跡的に生き延びて惨状を目撃した井上有一氏の言い知れぬ感情のことは、その出来事から30年以上を経て、その事実をやっと書き留めようという決心をして、145.0×244.0cmの紙を用意し、墨を用意し、筆を持って、そのまま一気に書き上げたことからも想像できるような気がする。そのような書作品を、“わさわさ”と形容しては無神経に過ぎるかもしれない。が、明らかに二つの作品の佇まいは似ている。また、「仏光国師偈」もまた私たちが考える「書」というものをはるかに逸脱して見えるが、深入りしない。こちらの方がより似ているかもしれない。
     これに対して岡﨑氏の作品は書ではないから、筆順もなければ読み取りのための順序もない。そして、特定の意味もない。“わさわさ感”が似ている、と私が感じるとすれば、色の形の合間に見える布地の白い形状の散らばり方がそれを呼び起こしているのかもしれない。私の悪趣味な“連想ゲーム”に過ぎないかもしれないが、井上有一氏の書作品は、岡﨑作品を読み解く大事なヒントにはなりそうだ。蛇足ながら、左から2枚目のパネルの上方には、井上有一氏の有名な一字書の作品「貧」によく似た茶色の線による形状をに認めることができる。
     そんなわけで、この岡﨑氏の作品を改めて見てみると、文字(=漢字)によく似た“かたまり感”の連なり=文字列のようなものが見えてくる。縦長の2対1、さらには3対1の比率のパネルに描いていることが縦書きの文字列のようにも感じらさせているのかもしれない。つまり、この時、「絵画」として見なくてもよくなって、ひとつひとつのブロックに目が向いてくるのである。また、絵ではなく文字のようなものとして見てかまわない、となれば、そのブロックひとつひとつは、色のついた半透明な粘土(ありえないが)によるレリーフのようにさえ感じられてくるのである。

     また、この作品との出合頭には、色材(顔料)に混ぜ込まれたアクリル樹脂メディウム、とりわけジェルメディウムの割合が多い、という印象も生じる。それは、半透明の色のツヤや、盛り上がった部分のエッジが与えてくる印象である。
     岡﨑氏の手製だというその絵具は、描画時には多量のメディウムで白濁していて不透明なはずだ。時間を置いて絵の具が乾燥・固化するに従って半透明でツヤのある色相を呈してくるだろう。そうした絵の具の変容過程は、“こうすればこうなる”という一定の経験の蓄積が岡﨑氏になされていることを示している。それは、岡﨑氏による床材のタイルでの釉薬の扱いを連想させもする。釉薬は施釉の時点と窯で焼いた後とでは色のあらわれが全く異なってくる。その違いを読んで釉薬を選び施釉しなければならない。一定の経験の蓄積がものをいうだろう。
     「パネル絵画」においてもまた、絵具が白濁した状態で完成時の姿を想定しながら描画しなければならない。が、白濁した状態こそが、絵具をナイフ=ヘラで塗りつけたり掻き取ったり“たまり”を作ったりといった描画時の氏自身の身振りの痕跡に集中しやすくしているようにも思われる
    。絵具層の厚みの多寡を作り出し、さらに盛り上げたり、掻き取ったりなどで出現する表情に集中する。下地の白から盛り上げた色までのグラデーションのあらわれ、色同士の響きあい、形状のコンビネーション、などは結果的に生じてくるのだ。これらは、結果的に岡﨑氏の身振りを直截に示している。半透明の手製絵具は、その効果を得るにはじつに“効率”がよい。岡﨑氏の身振りは明らかに抑制を効かせたものだが、そのことを、その筆触(“ヘラの跡”)が示している。もっと言えば、観客に描画時の岡﨑氏の身振りを読み取らせるために、アクリル樹脂のメディウムの分量を増して半透明状態の絵具を作って使っている、ともいえる。
     その色彩だが、この作品の場合、赤、橙、黄橙、黄色、黄緑、緑、青緑、緑青、青、青紫、紫、赤紫、というように色相環を網羅しているような印象で、さらに、赤、黄色、青の3色を混ぜなければ得られない茶色、さらに白を混ぜなければ得られない水色やベージュ、そして白そのもの、、、というように、実に賑やかで、「わさわさ」という印象の所以になっている。それらが半透明の表情を伴って次々に登場しているわけである。一方で、不透明な色も使われて明らかに“不協和音”の要因を形成しており、そうした透明と不透明とのコンビネーションにも注目せざるを得ない。不透明な、たとえば緑色は上層に施されている。
     この大きな作品からは上記の外にもいくつかの特徴が取り出せる。箇条書きする。
     ・パネル同士の境界が気にならないように、境界を超えて滑らかに連なる色のかたちを何箇所かに設定していること。
     ・筆触(“ヘラ触”)のほとんどが一分節で短いこと。
     ・下層と上層というレイヤーを感じさせていること。
     ・あちこちに「レレレのおじさん」の顔に似た“像”が登場していること。
     ・あちこちに塗り残しの「白さ」=カンヴァスの色が不定形で散らばっていること。
     それぞれの意味を考えていかねばなるまいが、一旦保留する。ひとつ、松浦寿夫氏が白い領域に着目することを繰り返し促している。
  •  左側の壁の「宙空の箒/アウフヘーベン」と右側の壁の「大きな作品」との間係を読み解くのもまた難しい。単なる“取り合わせ”とか“対比”ではあるまいから、懸命に見比べるのだが、結局は分からない。絵具の下の層は半透明な青や緑の手製絵具を薄く広げて塗って透明感が優る効果を求めています、ということを示しているのだろうか。
     私、バカなのかしら。やっぱり。
    (つづく)


    →続き:「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time UNfolding Here」展を見た(5)
    https://gazaizukan.jp/fujimura/columns?cid=337
  • 岡﨑乾二郎
    而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here

    会期:2025年4月29日(火・祝)~7月21日(月・祝)
    開館時間:10:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
    休館日:月曜日(5月5日、7月21日は開館)、5月7日
    会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/3F、ホワイエ
    主催:東京都現代美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
    公式HP:
    https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/kenjiro/


    写真1:2016年作の2点組の「パネル絵画」の展示風景
    写真2:右側の大きな作品
    写真3:「レレレのおじさん」に似た部分
    写真4:「宙空の箒/アウフヘーベン」
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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