藤村克裕雑記帳
2020-04-23
  • 色の不思議あれこれ169
  • 『あべのますく』が届いた
  •  『あべのますく』とは、あの「アベノミクス」との語呂合わせだろうが、誰が考えたものか、この命名は大変よくできている。
     もちろん「アベノミクス」は「エコノミクス」との語呂合わせだろう。日本国のプライムミニスター=Mr.Abeが「アベノミクス」とご自分で考えたとすれば、なかなかのセンス。しかし、私が想像するに、そうではなかろう。きっと大手広告会社の関係者ではないか。もちろん根拠はない。
     その『あべのますく』が届いた。しばらく手にとってみたが、やがて、家人がリビングの壁に“展示”した。展示には大賛成である。素晴らしい。「瞬間レリーフ」だな。
     というのも、この『あべのますく』を、これは新型コロナウィルスに対処するための「実用品」ではない、と考えると気持ちが落ち着いてくる。『あべのますく』は、じつは「美術品」なのだ、と私は気づいてしまったのである。
     これはレディメイドのオブジェ、というか、コンセプチャル・アート。
     Mr.Abeはじつは現代美術家でもあったわけだ。
     「美術品」の『あべのますく』を「実用品」として使ってもいいのはMr.Abeだけに限られる。その証拠に、毎日TVに映し出される閣僚のうち、Mr.Abe以外に誰一人として『あべのますく』を使っていない。後方の官僚らしきには一人だけ使っている人がいるが、思うに、あの人の姓も「あべ」さんではないか。 
     なぜか? 私が思うに、たとえば、麻生太郎副総理が使ったのでは『あそうのますく』になって、たちまち別の作品になってしまう。それに「あそう」の部分が促音便化したりすると、別の意味さえ帯びてしまう。なので、「あべ」の「ますく」でなければならない。『あべのますく』と名付けられたこの「美術品」のタイトルが優れている理由はこれだ。
     もう一つ。466億円とかだったかの税金を使っている問題。
     美術品は税金でも購入できるし、購入している。
     税金を用いることを前提にして、公の手続きに基づいてMr. Abeは現代美術家Mr.Abeに作品制作を発注した。現代美術家Abeはさらに誰かに発注して、ガーゼのマスクの姿をしたレディメイドのオブジェを必要数作った。出来上がったそれを袋詰めすることも発注した。印刷物も発注し同封することも発注した。Mr.Abeはこの成果品を日本国の全ての家庭に配ることも日本郵便に発注した。かなり複雑な工程だ。そして、全て配り終わるところまでのひと連なりで『あべのますく』という「美術作品」は完結する(はずだ)。だから、まだ完成途上である。制作中、というか、ワーキング・プログレスというか。このような「美術品」であるものを購入するために税金を使うのだ。高いぞ、でも「美術品」だ。高いのだ。
     発注し購入する側と制作する側とが“同じ”でいいのか? という問題がある。あるが、怪人二十面相やスーパーマンだっていろんな顔を持っていた。公人/私人、政治家/現代美術家、、、、、というようにMr.Abeだって、いろんな顔がある。「私人」の顔の時には犬だって抱えて撫でる。奥さんを大事にして自分の価値観で縛りつけたりしない。あ、横道に逸れそうだ。顔の話だった。昔なんか、グラスの底にも顔があったのである。現代美術家のMr.Abeが、たまたま日本国のプライムミニスターなのだ。素晴らしい。そう考えればいい。
     デュシャンはレンブラントの絵(=「美術品」)をアイロン台(=「実用品」)にして使うことを考えた。実現したかどうか知らない。でも私はあまりいい使い方とは思えない。レンブラントの絵は「美術品」として「鑑賞」ということをするために「使う」ほうがいいと思う。
     同じように、『あべのますく』は「美術品」として「鑑賞」する、と私どもは決めた。リビングの壁にずっと展示し続けたい。常設展示だな。
     ところで、『あべのますく』はすぐれた「美術品」かどうか、という問題が別にある。あるが、まだ展示したばかりだ。踏み込まない。出かかっている結論だけ述べておく。すぐれた「美術品」ではなさそうだ。というか、ひどい「美術品」に終わる可能性が高い。そのくらいの判断ができる「見る目」は持っているつもりだ。
     
  • そんな事よりも、気になっていることがある。
     『あべのますく』は小さすぎる、使えない、お金をもっと有効に使え、どこかMr.Abeと繋がりある業者に発注したのではないか、とかの声が上がっている。これは『あべのますく』が「実用品」であることを前提にした意見である。落ち着いて欲しい。思うに、「実用品」だとすれば、これは私たち庶民が、色々不満を述べたりできる“ガス抜き”効果を狙った目くらまし、そのための「実用品」ではないか。私たち庶民が、不平不満を述べ、悪口雑言の限りを尽くしてちょっとだけスカッとした気がしている間に、為政者は何を進行させているか。注意深く目を凝らしていなければならない。
     新型コロナウィルスからは「自衛」以外の方法がない。私は、うつすのもうつされるのも極力避ける努力をする(もっとも、すでに罹患している可能性だってある)。この「自衛」にアメリカ製の大量の戦闘機は必要ない。
     世の中の事態を見抜こうとするのは、一枚の絵をよく見るのと同じくらい、いやそれ以上に難しい。でも、「見抜く」のと「見る」のはとてもよく似ている。 
    (2020年4月22日、東京にて)

  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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