そしてまた、2019年作2点組の作品。先に見た「パネル絵画」とどう変化しているか。
右側の作品のタイトル。
「小さな鳥は北のほうから海上をかなり低く飛んできた。舟のへさきに止まった彼女はずいぶん疲れている。「旅は始めてかい?」言葉が伝わるよりも速く鳥は飛ぶ。言葉が消えぬ間に波は静まり太陽も戻ってきた。私はもう夢を見ることはない。けれど瞼の上に鳥が飛んでくる。青空にみるみる白い雲が棚引き、朗々たる声がはらはら雪のようにふってきた。「あの歌は誰が歌っているの」。砂浜にライオンがいる。「きみは幾つ?」ライオンは微笑む。ごらんなさい、ごらんなさい、わたしは幸せです。いつも挨拶を交わしていたけど、話をしたのははじめてなのです。」カンヴァス、アクリル、210.0×260.0×6.7cm(パネルは二種類、左側に210.0×78.0×6.7cm、その右側に210.0×52.0×6.7cm、その右側に78.0cm幅のパネル、その右側に52.0cm幅のパネル)
左側の作品のタイトル。
「静かな場所だった。聴こえているのは存在しない音楽。賑やかなのは私の耳のせい。波止場のざわめきは遠く、しとやかに聴こえる。まごまごしてここに迷い込んだ。眩しい光。こまごました磯の香り、イナサの風。あの島に行くつもり?舟の名は?アイオロス、一緒についていくさ。」カンヴァス、アクリル、210.0×130.0×6.7cm(パネルは二種類、左側に210.0×52.0×6.7cm、右側に210.0×78.0×6.7cm)
いずれの作品にも画面の上方と下方に布地の白さが横方向に拡がっていると同時に、パネルの連結部の縦線を越えて色の形が繋がる領域がなくなったわけではないが、この作品ではパネルの縦線で画面が断ち切られている印象が強く生じさせらている(パネルの縦の継ぎ目が目立っている)。が、そうしたパネルの縦線を横切って画面左上から右下へとわずかな傾斜を呈する動勢を感じさせている。色彩も、彩度の高い原色ではなくいわゆる中間色を用いている。塗りも比較的薄い印象だ。筆触(ヘラ触)はごく短い。これらが全体からの印象である。
右側の大きい作品から見ていこう。
先に、左から右方向へ右下がりの動勢が生じている、というようなことを書いた(打ち込んだ)。なぜ、右から左へではなく左から右へだったのだろう。それはおそらく、いちばん左の幅広のパネルの下方の紫と中程上左のくすんだ緑がそうさせている、と思われる。画面中央の水色の広がりも目を引くが、何かの運動の起点をなしてはいないようだ。ひとつ一つの色のブロックを成す筆触(ヘラ触)も主要な方向性を左から右方向へと右下がりの動勢を誘い出しているし、隙間の白の不定形もまたその動勢に加担している。
長すぎるタイトルをもう一度読んでみると、海とか波とか、横方向に広がる形状が登場している。中央やや上の水色の広がりがベージュの嘴をした鳥に見えないこともない。ではライオンはどこにいる? と、いつのまにかタイトルとの対応関係を探している。が、そんなことをするのはナンセンスだろう。とはいえ、この「パネル絵画」からまったく考えもしていなかった光景が立ち上がっている。
パネルを立てて描いたものか、何箇所かにしずくが滴っている。
左側の2枚のパネルによる作品。
この作品では、パネルの境界を越えて一体化する色のかたちの広がりは、下方の黄色の形以外にはどこにもない。パネルの境界と色の形との間に白い空隙がある。黄色の形にしても繋がりはひかえめであり、2枚のパネルが繋がって、画面が一体になって拡がっていくような印象からは隔たりがある。言い換えれば、それぞれのパネルの“単独性”が目立っている。この作品でも右から左へとわずかに右下がりになりながら色のかたちが連なっていく動勢がある。筆触(ヘラ触)が生じさせる方向性にくわえて、彩色部への右下がりの直線の引っ掻きが随所に観察できる。乾燥後、重ね描きされた茶色が果たす役割が大きい。
ここでもタイトルを読み直してみると、どうやら、激しい耳鳴りのことを言っていて、眩しい波止場で磯の香りに包まれてイナサの風に当たっているが、波止場のざわめきはよく聞こえない、というようなことなどが書かれているらしい。
そこで、右側と左側との関係について考えてみようとするが、絵同士の間隔のことを含めて、その意図があまりよく分からない。左から右へと、ごくわずかに右下がりの動勢が繋がる、といえば繋がるし、原色ではなく中間色が用いられているので穏やかで、タイトルとあいまってどことなく映像を感じさせてくれるような気がしてくる。
もう一点。3階フロアに上がってすぐ正面にある作品。
まず、タイトルから書き写す。
「Amethystine colors danced in the frames as petals transformed into genuine wings.”When darkness falls, they frolic about charmingly.” Sleep and Death waited within those mystic cups. “Would you honor me with a dance?” “Indeed, dancing with you would be quite marvelous.” “How fragrant!”
“Last night they were beautiful, but now every petal has wilted.” “Flowers cannot dance.” “But indeed they can.” Butterflies—-red, yellow, white—-were once flowers detached from stems.” “The breeze speaks their language, just as we have ours.” “In summer, we shall grow again, more beautiful.”」
2025年、カンヴァスにアクリル絵の具、208.0×117.0cm。
(117.0×91.0cmの大きさのパネルを上では横に、下では縦にして連結し、極太のTの字のようにして一体化させている)。
私の英語力はお猿以下なので(お猿に申し訳ないが)、日本語訳はパスする。
エスカレータで3階フロアに辿り着いた時に、向こうの壁に、ポン!と見えてくる作品がこれだ。目に飛び込んでくる印象は悪くない。色の彩度が高くて、きれい、といってよいだろう。“つかみ”はオッケー、である。
近寄って細部まで見て、後ろにさがり、もう一度近寄りながら、、、を繰り返していると、次第に疑問が生じてくる。これを、きれい、といっていいのか? という疑問。正確には、これを「絵の色のきれいさ」と言っていいのか? という疑問である。
岡﨑氏の絵画=背中に木枠を背負ったそれらは、絵画の姿をしていても台座のある絵画であり、絵画というよりレリーフとして考えた方がよいかもしれない、などと先に言っておいて、その舌の根も乾かぬうちに、いつのまにか「絵画」なるものを基準に考えているのだ。私、相当に保守的なのかもしれない。というか、相当にバカなのかもしれない。
これは、確かに絵具のきれいさではある。岡﨑氏は、メディウムとして描画用のアクリル樹脂をたっぷり使って色材と丹念に混ぜ合わせ、半透明を呈する絵具を作ってきた。それは、文字通り「半透明」のプラスチックである。つまり、この作品は、プラスチックが可能にしたきれいさによって、一見成立できている、と考えざるを得ない。
プラスチックが絵具にならない、というのではない。
1970年代の終わり頃だったと思う。上野の東京都美術館にイギリスの現代美術の作品が大挙してやってきたことがある。あの時、あのアンソニー・カロの大作などと共に、トニー・クラッグという男が体ひとつでやってきた。彼は、当時の「夢の島」に行ってプラスチックの破片・ゴミを拾い集めて、その破片・ゴミで作品を作ったのである。それを見た当時大学院の学生だった私は、腰が抜けるほど驚いた。なぜか? ゴミの破片が文句なくきれいだった、いや、美しかったからである。だから、プラスチックは絵具、というか造形の材料としてだって、有効であることは理解している。
私の疑問は、プラスチックのきれいさが、そのまま絵のきれいさになれるのか? という疑問なのだ(トニー・クラッグのその作品は床と壁とで展開していたが、絵、ではなかった)。やっかいな問題である。
もちろん岡﨑氏は、半透明な絵具を、ポトリ! とカンヴァスに置いただけで済ませているわけではない。ナイフで掻き取ったり、余剰分を水飴の線のように引きずったり、乾燥後、上層に別の色を加えたりして、微妙なグラーションを含む様々な色の形を実現している。それぞれが、岡﨑氏の体の動きの痕跡を強く喚起もしている。このことは一貫して岡﨑氏の作品が保持し続けてきたものだが、3階フロアの近作群では、即興性がより増して、また可能な限り手数を少なくしようとしている意思を感じさせられる。言ってみれば“一発勝負”への決断なのだ。その結果=答えが、絵具のきれいさがそのまま絵のきれいさになり得るのか、という私の疑問を生じさせているわけだが、これは、答えを出している岡﨑氏の“勝ち”であり、手をこまねくばかりの私の負けである。
(つづく)
→続き:「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time UNfolding Here」展を見た(6)
https://gazaizukan.jp/fujimura/columns?cid=338
岡﨑乾二郎
而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here
会期:2025年4月29日(火・祝)~7月21日(月・祝)
開館時間:10:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(5月5日、7月21日は開館)、5月7日
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/3F、ホワイエ
主催:東京都現代美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
公式HP:
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/kenjiro/
写真1:2019年作2点組の作品の展示風景
写真2:右側の大きい作品
写真3:左側の作品
写真4:3回フロアに上がってすぐ正面にある作品の展示風景
写真5:写真4と同じ作品を近寄って撮った