藤村克裕雑記帳
2015-06-08
  • 色の不思議あれこれ029
  • 昔、まだ小さかった義兄が枇杷を食べた(1)
  • 昔、まだ小さかった義兄が枇杷を食べた。枇杷の実には大きな種がある。その種を義兄が植木鉢の土に埋めておいたら芽が出て育ち始めたのだそうだ。やがて大きめのポリバケツに入れ替えたら、どんどん育って、もっと大きなポリバケツに入れたのだそうだ。バケツは通りに面した壁際に置かれていた。枇杷はどんどん大きくなって、やがて実をつけ始めるようになった。背の高さは二階の窓に届いてしまった。その頃になって、さすがに危ないのではないか、と言い始めた者がいた。義兄の妹と結婚した私だ。
    たとえば台風が来て、強い風が吹いて枇杷が倒れて、通行人にケガなどさせてしまっては大変なことになる。せめて枝を払ってしまいたい。
    だめ。こんなにけなげに育ったのだから。台風なんかに負けるはずがない。
    義兄や家人の母、つまり義母は大反対するのであった。
    義母の反対にも関わらず、私はこっそり枝を払って、枇杷が上の方の葉っぱで少しでも風を受けないようにしてきた。それが見つかると、義母に叱られた。
    あるとき、道路の工事で枇杷を動かさなければならなくなった。
    このままでは工事ができない。動かさなければならない。
    それを口実に、私はばっさりと枝を切り落としてしまった。きっと“ひこばえ”が出てくるはずだ。やっと全体が軽くなった。さあ動かそう。いくらやってみても、バケツはまったく動かなかった。ポリバケツの下から手首程の太さの根が数本伸びていて、アスファルトの下に潜り込んでいたのだった。バケツ全体を動かすために、それらの根を切った。工事は問題なくできた。
    工事完了後に“所定の位置”にバケツを戻したが、“ひこばえ”が出るどころか、枇杷は枯れてしまった。義母が悲しい顔をした。
    根を切れば死んでしまうのはわかってたじゃないの、と非難された気がした。
    枯れた枇杷はそのまま放置された。
  • そして数年。このたび、ずいぶん痛んできた壁などの修理をしながらペンキを塗り直す工事をすることにした。通りに面した壁際の枯れた枇杷が邪魔になるので、バケツのなかから枇杷の根を取り出して片付けることにした。
    余計な幹を切り取って、ポリバケツをひっくり返して、土と根を取り出した。それから、土と根を分けることにした。重くて扱いが厄介だからだ。
    一本の棒を持ち出して、土をほじくっていった。
    ダンゴムシとかの虫類がたくさん出てくる。何かの幼虫のような白い虫やミミズなど。ポリバケツの中の土にこんなにも生き物が棲息していたことに驚かされる。同時に、根が互いに絡み合って驚くような形状になっているのが次第に露わになってきて、これにも驚かされる。じつにおもしろい。
    その日はだいぶん暗くなってきたので、一旦作業を中断した。根は私の仕事場に置いておくことにした。

    つづく
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
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