藤村克裕雑記帳
2013-07-08
  • 色の不思議あれこれ006
  • 小山穂太郎展を見た
  •  秋山画廊(東京)で開催中の「小山穂太郎展」を見た。
     会場に入ると、床一面に鏡のようなものが敷き詰められ、黒い正方形を台座のようにしてやはり黒い二つのものが配されている。また、向こう側壁には鏡が垂直に立てかけられており、それに接するようにやはり黒いものが床に置かれている。それぞれのものからはコードのようなものが出て、床を這っている。これらが、天井からの複数のライトの弱い光の中に見える。床が鏡のようなもので敷き詰められている、と思ったのも、その天井のライトが床面に映り込んでいるからだ。
     そうした状況を断ち切るかのように、一瞬の光がさすことがある。確かめるためにしばらく待っていると、それは壁に立てられた鏡に接して置かれた黒いものから出た光だった。床に置かれた黒いものからも出るのではないか、とさらに待っていると、予想通りだった。手前のものから同様に一糞の光がさした。会場の中に入り込んで、壁に立てられた鏡に接するように置かれたものが大きなストロボライトであることが確認できると、床面の黒い四角い台座のようなものにも同様なストロボライトが床面に向けて仕組まれていることにも気付くことになった。もう一つの床置きの黒いものも床面に向けて設営されたライトのようだった。形状がストロボライトとは異なっていた。やがて、このライトからも光がさすのが確認できた。ストロボタイトからの光は当然一瞬であり、それぞれ長いインターバルを置いて点灯するのだが、ライトの方は比較的長時間点灯しては消え、インターバルを置いている。
     鏡がステンレスのようなものであれば、表面がそのまま鏡面である。それに対して、ここに用いられている鏡は透明な厚みを有しておりガラスかアクリルのようなもので出来ている。画廊の秋山さんが、アクリル板です、と教えてくれた。そのアクリル板の厚みから、三つのライトで点いた光が漏れ出すのである。会場床に敷き詰められたアクリル製の鏡の表面には無数の傷がついている。アクリル板は傷がつきやすい。が、作者はこれらの傷を気にしているようには見えない。傷で生じる乱反射の曇りが、かえって一種の“情緒”を形作っているように感じられた。
     ふと気付くと、奥の壁に立てられた鏡に正対するように、反対側の壁にも小ぶりな鏡がさりげなく懸けられていたのに気付いた。壁の鏡どうしで、光に無限の往復運動を促しているかのようだ。
     この作者は昨年、同じ会場で、多くのガラス片で床を覆いつくし堆積させて、そこに影絵をつくるようなシンプルな装置を仕組んだ。壁に“影絵”が映っていた。ガラス片の分量には呆れるほどだった。それらを踏みしめて会場を移動するたびに音が出た。音が出るたびにガラス片は摩耗していく。触れると手が切れそうな危険さを帯びたガラス片を写真とともに作品の一部に用いて始めたこの作者が、これから一体どこに向かっていくのか、興味が尽きなかった。
  •  今回の発表は、この作者がストロボを使い始めた時にもう一度立ち返って、最初期から作者が取り組んできた写真というシステムをメタファーのようにして展開しているように見えた。
     この作者がストロボを使い始めたのは、もう10年ぐらい前になる。
     筆者がストロボの作品を最初に見たのは、やはり、ここ秋山画廊でだった。それ以前に、仙台でストロボライトが使われたように記憶しているが、実見していない。秋山画廊でのストロボライトの最初の作品では、使い古された材木で床面を新たに作り上げていた。わずかなすきまを作りながら形成された床面の下にはストロボライトが仕組まれていて、今回と同様、インターバルを置いて点灯させていた。隙間を通して一瞬目を刺す強い光が残像をつくる。自分の網膜が写真のフィルムにおきかえられたような気がしたものだ。
     次に見たのは、京都杉本家での「casa sugimoto」。重要文化財の杉本家の座敷の畳を一部はずし、床下にストロボを仕組んで、やはり時折点灯させていた。同じ時には、鏡を使って映像を映写する作品も発表していたが、こちらの方はそれまですでに繰り返し試みられてきた形式のもので、その時、杉本家の地下室に映写された映像は、鴨川の氾濫の様子をとらえたファウンドフッテージといってよいものだった。いずれも作品も完成度の高い優れたものだったと思う。
     この作者は、自分で撮影した写真を大きく引き伸ばしてプリントし、それに傷をつけたり、焦がしたりした作品で頭角を現してきた。それ以前は、やはりプリントされた写真とガラス板の破片とを樹脂でくっつけて“素材”としたインスタレーションを試みていた。ガラス、鏡、傷、写真…。その意味では、一貫して変わらない姿勢を貫いている。これらの取り組みは、とどのつまり、光の現れをどう捉えるか、という問題に向かっているように筆者には思える。
     見えることを支える光は、見えないということをも同時にあぶり出している。というか、見えないものを見るにも、私たちは光に依らざるをえないわけである。近頃作者が用いる「幽霊」という言葉は、そうした“見えないもの”を指しているのではないか。鏡が光を全反射する性質を持っているのに対して、床置きされたものが黒、あるいは黒に近い色合いに設定されていたのは、光を吸い込んでしまうことの比喩にも見えるし、その黒いところから光が発せられるのも興味深い。発せられた光は、横向きに滑っていた。
     声高な作品ではないが、印象に残るものだった。
     4月20日まで。
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
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