藤村克裕雑記帳
2022-03-09
  • 色の不思議あれこれ214
  • 松澤展 その2
  •  というわけで、篠ノ井線というのだろうか、それに飛び乗って長野から暗くなりつつある松本にやってきた。途中、車窓から素晴らしい眺めが広がっていた。中村宏さんの絵のようだった。松本で目指すのはマツモト・アート・センター。ここで、北澤一伯氏が松澤宥関係の展示をやっている。
     道路に面した小振だが真っ白なスペースの正面壁に、「私の死」という1970年のあの伝説の「東京ビエンナーレ・人間と物質」展会場だった旧東京都美術館の“松澤スペース”入り口の上に掲げられたパネルを再現した言葉が再現されている。それは

    私の死
    (時間の中にのみ存在する絵画)

    あなたがこの部屋をしづかによぎる時あなたの心に一瞬
    私の死をよぎらせよそれは未来の正真正銘の私の死であ
    るがあなたの死ともまた過去の何千億の人間の死とも未
    来の何万兆の人間の死とも似ているアレなのだよ松澤宥


    というものである(ただし英文は省略)。
     横の階段から上に行くと、「松沢/「私の死」(1970)/あなたはただ、ここに掲示されてい/る掲示板の文章に従えばいいわけで/す。作家にとって、作品とは与えら/れるものでなく、あなたひとりひと/りの心の中にうみだされるという/ことです。」というパネルがあるが、これは北澤氏によるものだろうと判断した。その先にガランとした空間が広がっている。ここをよぎりながら松澤宥の死のことを思ってください、というのである。一つの壁に、先ほどの言葉と対になった言葉がある。

    私の死
    (時間の中にのみ存在する絵画)
    松澤宥

    私は今ここを過ぎるあなたに私の未来の死を手渡します
    その時刻に私は日本の中央高原のある洞窟の中であなた
    の両の乳房の下からあなたの二つの心臓を取り出しそれ
    らをそこ特有の乳白色の霧の中に飛び立たせてやります


    というのがそれだ(英文は省略)。松澤宥は死んでしまったが、こうして言葉=文字=文は残っている。ここに示したように、松澤宥の手書き文字ではなくても、また正方形のパネルではなくても意味は伝わる。意味は伝わると言ってもビミョーである。詩的なイメージの贈与なのだ、と考えていいものだろうか。        
     階段を降りると、小さな部屋があって、机の上と周辺とが展示構成されている。まず、机の上のアクリルケースの中に松田行正氏が作ったという本をメモ帳代わりに松澤氏が使っていたというその本が置かれている。その右側には今見てきた二つの作品が額装されて置かれている。その手前には今や超高額で取引されると伝え聞く岡崎球子画廊製作の「プサイの箱」が置かれている。希望者は白手袋を装着して中を見る事ができる。その左側には、机の上に置かれた本の中身のカラーコピーの束が置かれている。希望者は手にとって閲覧する事ができる。机の左側を見れば、松澤宥をめぐる参考図書が並んでいる。その左横には、美術史家・富井玲子氏が行った松澤宥についてのレクチャーの映像が流れている。マツモト・アート・センターのためのレクチャーだという。ヘッドホンを装着すれば音声も聞くことができる。
     北澤さんによれば、ここは普段は事務などをしている部屋で、机は北澤さん用のものだという。日常的な仕事の場が展示場に変じているわけだ。素晴らしい発想である。松澤宥の展示はこれで四年間続けてきている、とのことであった。しばし談笑しつつ過ごすことになった。
  •  その後、松本泊。
     次の日は下諏訪に降り立った。湖畔の諏訪湖博物館・赤彦記念館を目指す。銀色に輝く建物は伊東豊雄によるものだという。
     展示室に足を踏み入れると、ガラスに遮られてはいるが、横一線に並ぶ絵画作品群が目に飛び込んでくる。が、ガマンして、あえて順路に従った。年譜パネルとともに、貴重な資料群が並んでいる。それらを丁寧に見ていくと、中に驚くべきことに、私の大学時代の同級生のお父上が松澤宥と旧制諏訪中学の同級生でとても親しい友達だった、とあるではないか。他にも知らなかったことが次々に示されている。「音会」の時にヨシダヨシエが笛を携えていたことなども初めて知った。
     絵画作品のところまで辿り着くと、なんと子供時代の絵がある。なるほど、最初から上手いのである。
     また、前日に長野で見た絵画群と同じ”シリーズ”と言ってよいか、大きなサイズの絵画群はとても魅力的である。1953年の「美術文化展」への出品作らしき「ハイーデス」は、下層と上層との二つのレイヤーを感じさせ、黒の多様な線が上層を成しているように感じさせられ、線と線との隙間から下層の色や細線が覗いている。上層の線は人間の頭を描いているようにも感じさせられるが、それはおそらく黒い丸と黒々とした輪郭を備えたピンクの丸との所以だろう。
     中に一点、少し違うアプローチを感じさせる絵があって、写真におさめようとするが、ガラスの反射でうまくいかない。目を凝らすことにする。やや小振の二枚の紙に描かれた作品では、どんな材料を用いたものか、マチエールに実に凝った表情が表れ出ている。こうした試行は限りないほど繰り返されたのだろう。長野県立美術館にもあった。青木靖恭氏との共作だという3×3の形式でのコラージュ作品も興味深く見た。
     「美学校」諏訪分校に関するポスターなどの資料も展示されている。ここでは、松澤をはじめ小杉武久・中村宏・小畠広志など各氏が教えたらしい。諏訪分校は上諏訪に開設されていたという。前日、マツモト・アート・センターで偶然会った含真治さんは、この諏訪分校・小畠広志木彫教場で教えていたことがあったそうである。
     ここまで見て、もう一度見直しておこうと思ってはじめから見ていたら、上品なご婦人に声をかけられた。なんと、松澤久美子さんだった。松澤宥のご長女で、日立から来たという高橋睦治さんと一緒だった。高橋さんとは、やはり前日にマツモト・アート・センターで北澤さんから紹介してもらって会っていたが、松澤久美子さんとははじめてお目にかかった。これから、バスで娘と孫と合流して、駅でもう一人の娘とも合流して、下諏訪のあちこちをご案内します、とおっしゃったので、厚かましくもご一緒させてもらうことにした。下諏訪の各所で「松澤宥展」が開かれているのである。コインランドリーにポスター類が展示されていたり、レストランや喫茶店や旅館のロビーに絵や写真が展示されていた。途中のおしゃべりも巡っていくこともとても楽しい。久美子さんご一家と一緒に下諏訪巡り、というこのまたとない機会は、最後に旧松澤邸のあの「プサイの部屋」にご案内いただいてピークを迎え、「プサイの部屋」はすでに調査を終えて、今や空っぽなのだが、その場に我が身を置くとやはり感慨というものが湧いてくるのであった。
     久美子さんご一家に感謝しながら電車に乗り込んだ。晴天の二日間だった。
    (2022年3月9日記、東京にて)

    「私の死」松澤宥
    2022年2月2日(水)~3月21日(月・祝)
    場所:松本アートセンターGALLERY
    時間 午後2時〜6時
    マツモトアートセンター 代表 北澤一伯
    下記メールに問い合わせをお願いいたします。
    携帯:090-9666-9455
    住所:〒390-0874 長野県松本市大手1-3-32笠原ビル1F/3F/4F
    MAIL:ipak.k@kitazawa.aor.jp

    ●公式HP
    http://matsumoto-artcenter.com/event/平野甲賀‐展2-2-2-3-2-2-2-2/

    ●下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館
    https://www.nagano-museum.com/info/detail.php?fno=142



  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
当サイトに掲載されている個々の情報(文字、写真、イラスト等)は編集著作権物として著作権の対象となっています。無断で複製・転載することは、法律で禁止されております。