藤村克裕雑記帳
2019-08-23
  • 色の不思議あれこれ138
  • 暑い夏 その1
  • 夏は暑いに決まっているのだが、それにしても暑いのである。加えていろんなことが起きる。
     例えば「あいちトリエンナーレ」の中の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐる出来事。心ない者たちの「脅迫」によって、運営を担う人々がその企画展の展示を中止した一件である。この判断が、様々な波紋を生んでいる。
     公の組織が責任を持って企画した展示。その展示に対して、テロ予告に近い「脅迫」をされた。であれば、普通考えるのは、「脅迫」してきた者を捕まえることと、観客やスタッフの安全確保や展示作品の保全のために必要な態勢(厳重な荷物検査、警備員の増強など)を整える、ということだろう。だから、その態勢が整うまでの間、例えば会場を閉じることで対処する、というのは「あり」だ、と私は思う。態勢が整えば展示を再開・継続する、たとえ異様な状況(荷物検査の長い行列ができるとか、観客より警備員がたくさんいるとか、順路が厳しく制限されるとか、作品が防弾ガラスで囲われるとか、などなど)が生じても安全第一、観客には我慢してもらう、そして企画した展示はきっちりと行う、運営する立場ならこれが当たり前ではないか。
     ところがそうではなかったのである。運営する人々は、結局、展示そのものを中止することにしたのだった。
     これって何? じゃあ、いったいなんのための企画だったの? この事態は本当に「表現の不自由」あるいは「表現の自由」の問題なのだろうか? 
     私は違うと思う。それ以前の問題だろう。
     何よりも、荷物検査や警備増強など、「脅迫」に対抗するに必要な態勢を毅然と構築する予算枠がなかったのではないか、と私は“邪推”している。つまり、物議を醸すことが当然予想される作品を集めた企画を実施したにもかかわらず、それに伴って生じることが予想された事態について、運営側のあらかじめの読みと対策が甘かった、ということではないか。
     展示作品についての議論はどんどんやればよい。展示企画についての議論も同様だ。展覧会はそのためになされる。しかし、作品展示あっての話である。   
     展示そのものが閉じられてしまえば、情報の断片だけが一人歩きし始める。たとえば、いったい何人の人があの話題の「平和の少女像」の実物を実際に見て鑑賞したのだろうか? あの作品(今回展示されたと伝え聞く着彩された樹脂製の彫刻作品の現物)をあの会場で実際に見たなら、どこがどう優れているなど具体的な作品の話を始めることができる。他の出品作品についても同様だ。それこそが展覧会の意義だろう。しかし、この企画展で見ることができたはずの作品の話は、当面、できそうもなくなった。運営側が会場を閉じてしまったからである。残念なことである。
    つづく→
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  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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