藤村克裕雑記帳
2017-11-06
  • 色の不思議あれこれ082
  • 「運慶展」再び
  • そういうわけで、「重源上人坐像」を見たくて、再び「運慶展」を訪れた。11月3日(金)、文化の日。晴。
     じつは前日午後にチャレンジしてこの会場前に行ったのだが、入り口の「40分待ち」の掲示で気持ちが萎え、断念して帰宅したのだった。帰路、かなり反省し、知恵をこらして作戦を立て、夜を狙うことにした。たいした知恵ではないが。
     博物館到着19時。入り口での入場制限もなく、すんなりと入場できた。作戦大成功は嬉しい。
     運慶にはやはり圧倒されてしまった。いつのまにか「重源上人坐像」のことを忘れてしまっていたくらい。やはりすごいぞ。
     「重源上人坐像」は、なんともあっさりと第二会場にあった。なんの“特別扱い”もなく、むき出しにポンと置かれていた。視野の左側に飛び込んで来たとき、あ、あった、と思ったのだが、意外に小ぶりだなあ、と感じた。第一会場の最終室、無着・世親像や増長天像など四天王像を見たあとだからだろうか。  
     だが、近寄って見入っていると、すぐに小ぶりもへったくれもなくなる。
     一見、素朴な感じもしたが、それは顔面の扁平さが際立って感じられたからかもしれない。しかし、これもまた見入るに従って魅力へと転じていく。
     正面から右に回り込んで行くと、体躯のボリウムが思いがけずたっぷりしていて驚かされる。首が前に突き出て頭部を支える老人の姿勢である。
     壁があるので、像の背後には回り込めない。しかし、東大寺・俊乗房では横からさえ見ることができなかった記憶があるので、“大サービス”の展示である。
     正面に戻って、こんどは左に回り込んで行く。そうすると、像の向かって右と同じ分量の体躯のボリウムが向かって左にもあるはずが、まったく違った印象を帯びているので、またビックリさせられてしまう。それもそれ、数珠を持つ両方の手の位置が違うので(像の右手が上、左手が下)、腕の形状に差が生じ、それに従って衣紋の形状が異なっているからだ、と判明することになる。
     もう一度正面から観察すると、シンメトリーと言ってよいシンプルなポーズの中に微妙な動きが感じられる。右手と左手の位置が違う、というようなことではない。正面の同一方向に向いているはずの両膝、腰、体躯、両肩、頭とごくわずかなズレがあるように感じられる。言い換えると、正中線が単純でない。ごくわずかなのだが、そう感じられると、俄然、像が生き生きしてくる。
     頭部では両方の耳、眼窩、目、小鼻、口元が、単調に水平に位置付けられているのではなく僅かずつ右側が上になったり左側が上になったりして、顔の造作がムーヴマンを形成している。肖像彫刻として名高いわけが納得できる。しばし、堪能ということをした。
  • それにしても、興福寺・南円堂、同北円堂といい、東大寺・俊乗房といい、公開日は限られているし、周囲を巡れるように像は安置されていない。その意味では、この展覧会はめったにない贅沢な機会を提供してくれている。
     ところで、「重源上人坐像」が運慶作だなんて知らなかった、と先に書いた。それもそのはず、作者は特定されていないらしい。知らなかったのでよかったし、運慶作だ、と知っていてはいけなかったのである。
     ふと気付くと、場内放送が閉館時間を告げていた。21時近くになってしまっていたのだ。満足して帰宅の途についた。上野駅で暖かいシューマイを買って電車に乗った。電車はすいていた。
                 
    (2017年11月3日 東京にて)
    公式HP
    http://unkei2017.jp/
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  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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