藤村克裕雑記帳
2021-06-07
  • 色の不思議あれこれ201
  • 久しぶりの美術館
  •  新型コロナウィルスが変異したりして(変異という内実が私には理解不能だが、ともかく変異して)さらに跳梁跋扈し、加えてワクチンの手配もうまくいっていないらしく、またまた「緊急事態宣言」というのが出て、美術館さえ軒並み閉じてしまった。なので、この間は、おウチでずっとジッとしていた。やらねばならないことは山のようにあるのに、それを思うだけで疲れてしまって、毎日テレビでお相撲を見てごまかしていた。
     お相撲も終わってしまったので、さあ、いよいよ気合いを入れて活動再開じゃ、と思ったら、やがて「宣言」が延長されてしまった。
     “人流”を抑えるために、外食も飲み会も催し物も、「お願い」という強権で、ともかく人が集まること、つまり人と人とが近寄る機会を極力抑え込む、という作戦のはずだった。が、どうした次第か、延長後は国立も都立も美術館は開く、というのだ。なんだか国や都のやっていることは首尾一貫していないのが、素人目にも明らかである。そうなってしまっている「五輪」という訳も、ほぼ見当がついて来ている。そのカラクリも。
     とはいえ、こっちはこっちで、しめた、と家人に頼んでさっそく「東京都現代美術館」の予約をしてもらった。「渋谷区立松濤美術館」にも予約を試みてもらったがうまくいかず、それもそのはず『ベーコン展』はもう開かない、という情報を直後に得て、ガッカリした。でも、ま、いいか。
     というわけで、「東京都現代美術館」に行ってきたのである。久しぶりの美術館。
     まず、『ライゾマティクス_マルティプレックス』展。
     とっても面白かった。何が面白かったか? 彼らと私のような爺さんとのジェネレーションの決定的な違いと意外な類似性が。
     私はトイレの壁にセザンヌの絵の粗末な写真図版を貼っているような爺さんである。そこに座るたびに、目の前のその風景画の図版に見入って飽きることがない。わざわざ老眼鏡を持ってトイレに行くのだ。あまり知られていない絵である。どこかの会社からもらった随分以前のカレンダーにあったのを切り取ってそのまま忘れてしまっていた。過日、それを見つけて、トイレの壁に貼った(セザンヌさん、トイレでごめんなさい!)。 
     今さっきまでセザンヌが描いていたような気がしてくる絵だ。セザンヌが見たなんの変哲もない景色がそこに見えてくるような気がする。同時に(これが面白いのだが)、その景色を前にしたセザンヌの眼の運び、反応、決断などが、筆触を通して生き生きと蘇ってくる。
     セザンヌは実にしつこい。そのしつこさが素晴らしい。信頼できる。信じがたい観察が信じがたい結果を生じている。効果とか、そういうものを得るための営みではない。見入るたびにセザンヌから叱られているような気がしてくる。同時に励まされる。
     粗末な写真図版でこのありさまである。本物のセザンヌがかかっていたら、私はずっとトイレに座っているかもしれない。もっとも、セザンヌの本物が拙宅のトイレの壁にかかる可能性は全くない。ないが、話は私の貧乏のことではなくて私のジジイぶりのことである。あろうことか(?)、セザンヌのほとんど知られていない絵の粗末な図版に毎日見入って、心底セザンヌに感心してしまうのである。「ライゾマティクス」の諸君からすれば、それは大昔の謎の風習、ということになるのではなかろうか?
  •  彼らは、コンピュータを駆使し、電子機器を操り、場合によっては装置さえ自分たちで作って、サービス精神満載のめくるめく状況を作り上げる。出来上がってくるそれは、寸分の誤差もない精密さ、緻密さで貫かれている。というか、その精密さ、緻密さが、コンピュータや電子機器を必要とする、というべきか。ともかく、とっても面白い(ぜひご覧になることをお勧めしたい)。以前、やはりこの美術館で「ダムタイプ」の展示が行われたが、彼らと共通するところもあるにせよ、明らかにテイストを異にしている。それもまた面白い。
     ふと、昔、唐十郎が言った「特権的肉体論」という言葉を思い出していた。あの「状況劇場」の芝居は、確かに役者の「肉体」が炸裂していた。あの時代、コンピュータは一般には無かったし、「電子」というより「電気」、つまりアナログ世界だった。とはいえ、クライマックスで赤テントの奥がパーッと開いてそこに広がる現実空間が劇に取り込まれる、あのめくるめく状況作りの巧さといったら、観客は我を忘れて拍手し続けたものだ。あの熱狂とよく似たものを「ライゾマティクス」の展示から感じてしまった。予約制なのに会場に若い人が絶えないのもわかる気がした。だって、「ここ」でない「どこか」に連れて行ってくれる。
     「肉体」と言えば、「ライゾマティクス」においてもダンサーが登場するし、顔の各所に電極で刺激を与えて無理やり表情を動かす、などもするから、ここに「肉体」がないわけではない。が、「特権的肉体論」での「肉体」とは違う。「ライゾマティクス」では「肉体」もまた因子に分解されてデジタルで操縦可能な装置のようなものとして捉えられている。対して私などの世代は、例えば野口三千三さんから「体はイメージで動く」と教わった。その一種反転されたありさまが実に面白い。会場で大きな役割を果たしていた“あらゆる方向に動くことが可能な四つの車輪の移動装置”の仕組みに虚をつかれるように、様々なことを考えさせられる。
     私が、とりわけ興味深く、かつ楽しんで見たのは、試作段階での失敗の事例を集めた映像だ。なるほど、背後には極めて“人間的”な「肉体」があるわけである。考えてみれば当たり前のことだ。その「当たり前」が実にいい。
     ほぼ、ヘトヘトになって見終わり、それでも頑張って『マーク・マンダース—マーク・マンダースの不在』展、『Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021受賞記念展』とを見たところでギブアップして『コレクション展』は断念した。見物した展示はそれぞれとても面白くて、久しぶりの美術館を堪能したのだったが、これはもう、この報告もここでギブアップなのである。

    画像:Rhizomatiks Research×ELEVENPLAY×Kyle McDonald《discrete figures Special Edition》2019年10月6日
    札幌文化芸術劇場 hitaru
    主催:札幌文化芸術劇場 hitaru (札幌市芸術文化財団)・ライゾマティクス
    ©kenzo kosuge


    ●「ライゾマティクス_マルティプレックス」展
    会期:2021年3月20日(土・祝)- 6月22日(火)会期延長
    観覧料:一般 1,500円 / 大学生・専門学校生・65歳以上 900円 / 中高生 500円 / 小学生以下無料

    6/1~6/22は完全予約制(日時指定)
    東京都現代美術館|オンラインチケット販売 (e-tix.jp)
    会場:東京都現代美術館












  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
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