藤村克裕雑記帳
2023-12-15
  • 藤村克裕雑記帖250
  • 岡崎乾二郎『頭のうえを何かが』(ナナロク社、2023年)を読んだ
  •  先週、私が心から尊敬する旧知の先輩作家が、あるグループ展の初日に、ある女性舞踏家と一緒にパフォーマンスを行う、という情報を得て、今回こそは行くぞ! と夕闇の京橋に出かけた(12月4日、『近景・遠景』展、ギャラリー檜B・C)。久しぶりに見たその先輩作家=大串孝二氏の力強いパフォーマンスは、さすが! と言うべきで私は大変満足し、終演後、ごった返す人々をかき分けて、ともかく大串氏にご挨拶だけしてすぐ会場を出た。帰路途中の南天子画廊の前で、おや?! と気付いたのである。これって、岡崎乾二郎氏の展覧会?
     気がつけば階段を登っていて、さらに扉を開けて画廊の中に踏み込んでいた。そこには、岡崎氏が何年か前に(2021年10月30日の夜ということだ)おそらく過労ゆえであろうが脳梗塞を発症し、ともかくは事なきを得たものの、右半身が不随意になってしまって、そのリハビリの過程で描いた絵=彼の言う「ポンチ絵」がたくさん並んでいた。帰りの道筋を少し違えていれば、全く気づかなかった展覧会だった。

     脳梗塞を発症後の岡崎氏について、私は、岡崎氏自身がSNSに投稿する情報以外に知るところがなかった。
     今、ちょっと見てみると、フランスから帰国後に「脳梗塞で倒れ」「現在も入院中です」という岡崎氏の投稿があったのは2022年の2月20日。この時はとてもびっくりさせられた。「まったく右半身が動かない」けれども、「不思議と意識活動は明晰」で「音声入力で原稿を書くこともすぐできることが判明」している、とあって、「今は毎日が、今まで知らなかった自分の体を新たに発見し直す、驚きの日々」であり、「一旦はアーティストとしての活動を諦めはじめてもいましたが、今は全く新しくはじめ直せるという自信が生まれてきました」と書かれていた。
     その後の彼は、トーク、展覧会、著書『絵画の素』(岩波書店)、、、というように以前と変わらない活動ぶりを再開、というか継続して現在に至っている。
     つい先日(11月15日)には、柔らかめの粘土で塊を作り、それを削いで形成したらしき像をとらえた写真を添えて、こんなものをつくりました、というコメントをした彼の投稿があって、それは見ていた。が、正直、これは一体なんじゃらほい、と思っただけで、その投稿の意味について、きちんと考えてみることをしなかった。投稿された写真は、大きな右足の粘土像を捉えたものだったが、「右足」、ここが大事だった。そのことにこの画廊で気付かされることになったのである。
  •  会場に並んだ「ポンチ絵」の方は、不随意になってしまった右半身のうちの上肢=右腕=右手を用いて描かれたものだ、ということはすぐに分かった。
     最初の絵の日付は「2021年12月5日」。1枚目はいかにもたどたどしい。が、発症後1ヶ月ほどで、麻痺してしまった右手で絵を描こうとしたこと自体が、驚くべきことだ。リハビリの専門病院に移って一週間後のことらしい(リハビリ自体は入院した次の日から始まったようである)。同じ日に描いた2枚目では、“猫”を描いたことが明らかに伝わってくる。頭部を捉えるための「C」の字の形状を反転させた力強い一本の線が目を引く。
    さらに3枚目。驚くべきことに、猫の左側頬から下顎、右側頬、背中、尻尾右側後ろ足、左側後ろ足、お腹、右側前足に至る輪郭がひとつらなりの線で描かれている。これは、岡崎氏がこれまで折に触れて「一筆描き」に取り組んできた中で培ってきた形状把握の柔軟さが病後も保持されていることの現れであり、絵を描くことを含めた「意識活動」が健在であることを雄弁に示している。
     「ポンチ絵」は時系列に従って展示されているので、またたく間に上達していく様子が後追いできる。手作りらしき額縁を用いた額装もなかなかの味わいがあるが、それはそれ、“深掘り”しない。そうした「ポンチ絵」が全部で40点くらい。「2022年4月16日」の日付の絵で「ポンチ絵」は終わっていた。これらを通して、約5ヶ月間の右上肢=右腕=右手の回復、つまり損傷した脳が従来と異なる回路を形成しつつあることの記録にもなっている。他に、「ゼロ・サムネイル」のシリーズも数点。そして彫刻一点。
     私は、驚愕しつつ会場を一巡して、「ポンチ絵」に見入り、あれよ、あれよ、と上達していく様子に感動してしまった。岡崎氏を襲った脳梗塞は、彼の右半身を不随意にしてしまったが、意識や意志や言語能力を奪うことはなかったのである。このことは、絵は手や腕でも描くが、実は脳が描いていることを示していたし、不断のリハビリに耐えながら、手や腕も着実に“回復”していることを示していた。
  •  会場に置かれた粘土製の大きな右足は、凝った台座の作りにも興味をそそられるが、その台座上に置かれた粘土像は、岡崎氏が11月15日にSNSに投稿していた写真の被写体の現物であろう。岡崎氏は、不随意になった右半身、すなわち、右側上肢、下肢、体幹を用いて、この大きさ=つまりこの重さ(かなり重いだろう)の粘土像を作ったわけである。それはすなわち、損傷した脳の一部は回復しないにせよ、その機能を損傷しなかった脳で補いながら、麻痺した右半身の運動機能を徐々に回復してきた成果そのものだったのである。つまり、発症から2年経過した現在、岡崎氏は右手=右腕を用いて大きな粘土の塊を扱えるまでになった、ということだ。SNSで岡崎氏の投稿を見たとき、そのことに気付かず、迂闊に見過ごしてしまった私自身を恥ずかしく思った。そして、この画廊で、岡崎氏が人並み外れた集中力、持久力の持ち主であることに改めて思い至り、素直に感動してしまったわけである。
     画廊の人に、これは販売しているんですか? と尋ねると、いいえ、今回は本の出版を記念する展覧会なので販売はしていません、と言うので、それ以上の会話をせずに、会場で販売していた12月3日に発行されたばかりの本(『頭のうえを何かが 』)を一冊購入して、それを帰りの電車の中で読み始めて、帰宅して読み終え、その前向きな闘病ぶりにまたまた感動してしまった。
     この本には、展覧会の出品作がカラー印刷で掲載されていることはもちろん、その一点一点の絵に岡崎夫人=ぱくきょんみ氏のコメントが添えられ、おそらくはインタビューをもとにしたものであろうが岡崎氏の「リハビリ記」と、中村麗氏の序文と岡崎氏の「あとがき」が収録されている。岡崎氏の「リハビリ記」は、読み応えがあったのはもちろん、さまざまなことを考えさせられるものだった。それゆえ、読了して、素直に感動させられたのだと思う。
  •  ところで、岡崎氏の新著を読み進めながら、この本(『頭の上を何かが 』)とよく似た内容の本を読んだことがある、と考えていた。
     確か、あの本は今も家のどこかにあるはず、と数日間(!)探して(図書館に行けば済むのに)見つけ出したのが、多田富雄『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)。苦労して探し出したのだから、と早速もう一度読んでみると、ほとんど全てを忘れ去っていたことに気づくことになった。

     67歳の多田富雄氏(免疫学者)は旅行先の金沢で脳梗塞によって倒れてしまったが、たまたまその時は訪れた漢方医のところで診察中だったので、素早く的確に対応してもらえたものの、結果、右半身が不随意になり、舌も麻痺して、声、言葉(発語)を失い、嚥下(摂食)機能に障害が残った。が、意識や人格は保たれたので、左手でのワープロ打ちで、その状態からの回復の記録ができたのである。ここでは、その細かなことは省略する。
     岡崎氏と異なるのは、多田氏の場合は舌の麻痺も伴っていて、発声や発語の機能を失い摂食障害にも陥った、というところだが、このことは、「脳梗塞」といっても、一人一人症状が異なる、ということを示している。当たり前と言えば当たり前だが、破壊された脳の部位が異なれば症状は異なり、リハビリのやり方も変わってくるし、当事者ひとりひとりの受け止め方も違ってくるわけである。ここに岡崎氏と多田氏との共通点や違いを書いていくことはしないが、一つ、麻痺ということについて多田氏の『寡黙なる巨人』から抜き書きしてみる。
     ・半身麻痺といえば、通常は筋肉の運動麻痺のことを指している。運動神経がやられたのだから随意運動ができない。感覚までやられると、体のその部分は存在しないに等しい。
     ・麻痺が起こると体はいつも緊張している。力を抜くことの方が難しい(痙性麻痺)。筋肉に無駄な力が入ってどうにもならない。一般に屈筋の方が優位なので、四肢は曲がったまま伸びない。内転筋、内旋筋が優位になるので体はいつも内側に曲がる。麻痺が古くなると、腕が折れ曲がったような形で固定してしまう。悪化すれば廃用症候群になる。
     ・足も折れ曲がり、伸ばすことが難しい。足の指が折れ曲がる。手は曲がった指が、ぎゅっと握り締める。それが持続的になると、手を開かせるのが不可能になる。それを避けるために、日夜無理に健常な方の手で麻痺した指を無理やり開く努力をしなければならない。
     ・足の甲は伸びたままになる。いわゆる尖足。故に足首を曲げた形で固定する装具をつけなければ歩けない。
     ・筋肉のつっぱりは、自分ではどうにもならない。精神の緊張するとつっぱりは強くなる。
     ・麻痺した手足は驚くほど重い。そのくせ湯船に入ると、頼りなくぷかぷか浮いてしまう。
     ・麻痺は動かないといった生やさしい苦しみではない。

     知らなかった、、、。多田氏の場合、ここに発声・発音障害、摂食障害が加わっていかにも大変なのだが、ここでは省く。 
     私は、大昔、学生だった時、体育を野口三千三さんに教わった。だから腕の重さのことは実感で知っていた。というのも、野口三千三さんは、最初に「脱力」する、ということを教えてくれた。というか、授業を通して、終始、「脱力」することの大事さを教えてくれた。まさに”目からウロコ”の授業だった。
     こんな授業があった。
     二人組になって片方が床に仰向けになって脱力する。つまり、地球の中心に向けて自分の重さの全てを預けるようにイメージして脱力して横たわるのだ。しばらくしたら、傍らにいるもう片方が、寝ている側の手の親指を摘んで、そっ、と上に持ち上げる。その時、脱力したままの腕の重さ全体が親指に集中して、摘む側も、摘まれる側も持ち上げた腕の重さを感じることができた。その重さにびっくりしたものだ。
     が、私は、脳梗塞などが原因で麻痺した筋肉には絶えず意図しない緊張が続いている、ということを全く知らなかった(完全に忘れていた)。不覚であった。そういうわけで、ことの大変さに改めて気づくことになったのである。
  •  で、岡崎氏の『頭のうえを何かが 』の「リハビリ記」に戻ると、岡崎氏のひたむきさや集中力がよく表れている。療法士が行う“正規の”リハビリの時間にはもちろんそれに集中し、それ以外の時間も可能な限り“自主トレ”にあてる、という毎日だったようである。それを可能にしたのは、やはり彼の前向さではないだろうか。
     岡崎氏はこんなふうに書いて(語って)いる。
     
     ・自分を支える世界、環境への接し方のルーティン、端的にいって世界と自己を成り立たせてきた構造、作り上げてきた自我=自分の世界をいったん棚に上げて、あるいは放棄して、再度作り上げることなしに、新たな技術そして思想は身につきません。今までの自我を維持したまま、つまり、今までの自分の延長上で何かを改めて学んでも身につくのではなく、知識として消化されるだけです。
     ・きっとリハビリでも、この自我の壁、端的にプライド、たとえば「新しいことをいまさら学べるかという冷笑的あるいは厭世的気分はリハビリの障害になるのでしょう。
     ・もちろん、本当に限界があるとすれば脳を含めた身体の器質的な限界であることになります。そしてその限界を引き受けた上でも、今後は外的なサポート、例えばテクノロジーを使った外的な補助は可能なはずです。だから、きっとまた創作活動はできる、なによりも生きているうちに終えなければならない仕事のリストがはっきり見えてきました。
     ・かならず可能性はある。あとはそれをしなければいけないという目的=モチベーションがあれば、自分はいかなる努力でも行うだろう。

     “健常者”と呼ばれている私にこの前向きさがあるか、と思ったのだった。12月4日に読んだ本のことを書くのにさえ、こうして四苦八苦している。
     
    (2023年12月15日、東京にて) 


    出版記念展
    Ones Passed Over Head
    頭のうえを何かが
    2023年12月 4日(月)〜12月23日(土)
    11:00am - 6:30pm(日休廊)
    会場:南天子画廊
    公式HP
    https://nantenshi.com/exhibitions/okazaki_2023_231223.php
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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