というわけで、次の日は家人と思い切って高崎・群馬県立美術館に行った。高崎駅から美術館まではかなりの距離があるので、何年か前から高崎に転勤になって仕事をしている息子に車で送ってもらった。「佐賀町エキジビット・スペース1983—2000現代美術の定点観測」展。すでに、一般書店でも、同スペースをめぐる分厚い本が発売されており、情報だけなら得ることができるのだが、見ておきたい、と思った。
念入りなコロナ・チェックの後、会場に入ると、「佐賀町」の創設時からスペースを閉じるまでの展覧会の記録写真が一部屋に整然と展示されていた。実際に見たものも、見ていないものもあるのだろうが、すでに記憶が定かでなくなっている。
大きな仮設壁6つで大まかに仕切られた広いスペースの中に作品が点在している。佐賀町にはなんども訪れていたはずだが、実際に見たはずのものが違って見える。例えば、岡部昌生氏。この巨大なフロッタージュは現場では壁にはなかった。床に広がっていた。それがここでは壁に設営されている。佐賀町のあの建物がなくなった今となっては、あの現場の床の痕跡をとどめるこの作品は記念碑的な意味さえ帯びてきている。いつだったか、札幌を訪れた時、岡部さんの息子さんの作品が中森さんのお店に並んでいるのを見て、感慨深かったことを思い出したりした。剣持和夫氏のドローイングも単独で壁にかかっているのを見ると、印象が異なって、ちゃんと絵になっている。
今となっては情報で知ってそのうちに見たような気がしているのか、実際に見たのかわからないようになってしまった作品の数々だが、インスタレーション的な要素から切り離されて、こうして独立した作品となってそれぞれを見ると、どれも見応えがある。とりわけ、黒川弘毅氏の彫刻には魅入ってしまった。守中高明氏の詩を刻み込んだそれは呪物のようにさえ感じさせられた。また、駒形克哉氏の作品は現場を見ていなかった後悔をあらためてかきたてられ、さらにここには出品されていない内藤礼氏、彼女の「地上に一つの場所を」を訪れなかった不覚を思った。とはいえ、なんども会場をめぐっては、何事かを思い出したり、考えたりして、だから、というわけではないが、確かに良い時間だった。資料類の展示もあって、配慮が行き届いている。
常設展示がまた面白い。ざっとめぐるだけで疲れ切ってしまうくらいの密度がある。群馬、侮れない。
というわけで、へとへとになって外に出て、大きなお馬さんの彫刻(ブールデル作)の前で記念撮影し、あ、群馬だからお馬さんか、と納得し、今度は息子の一家と合流し、食事に行った。その後のことは私事にすぎるので、省略。
(12月1日 東京にて)