坂田一男という人が、確かすぎるくらいの技量の持ち主であったことが一発で分かる。とはいえ、この展覧会で問題にされていたのは、フランスから帰国後の作品群。それらのほとんどは制作年が分からない。時間軸に沿った整理は目の前の作品群をもとに推理を組み立てて行う以外にないのだ。自身が実作者であり、また、豊かな知識をもとに独特な論理展開を示し続ける岡﨑氏にステーションギャラリーが監修を依頼した所以だろう。
岡﨑氏のアプローチが興味深かった。氏は手がかりを三つの点に見出していた。一つは戦争。兵隊の姿や手榴弾が描かれている。二つ目は海沿いの造成地にあったアトリエが水没して作品も破損したこと。その破損を坂田が新たな可能性へと反転させていたのではないかということ。もう一つは坂田がクリスチャンだったこと(ただし、このことは声高には語られていない)。岡﨑推論の詳細はカタログ所収の岡﨑氏の文章に当たって欲しい。
岡﨑の推理の中で、私が特に感心させられたのは、手榴弾。手榴弾といえば、私などはあのサンダース軍曹が登場するテレビ番組=『コンバット』で使われていたもの以外のものがあったことを考えもしなかった。ほぼ同じ世代の岡﨑氏が手榴弾のことまでよく調べたものだ。ここでも氏は先入観にとらわれることがない。その徹底性は、えらい!
こうしたこととは別に、私がこの展覧会を見て気になったのは、ほとんど全ての坂田の作品に、キャンバスや紙のヘリの内側にもう一つの「枠」があることだった。油絵はもちろん、鉛筆によるデッサンにおいても、几帳面に線で囲って「枠」を作り、絵の検討はその内側で行っている。これは、実に興味深い。坂田という人は、なぜこういうことをしていたのだろうか? ゆっくりと考えてみる価値がある。坂田手製の冊子の出品も嬉しい。
そして、いかにも唐突に展示されていたド・スタールとモランディの作品。その前で坂田のことを忘れてしまっていた。あまりに素晴らしかったのだ。
また、この年末年始は、私とほぼ同じ時期に同じ学校で過ごしたうちの二人の作家が、長く勤務してきた大学で行った「退官記念展」のことを忘れるわけにはいかない。沖縄県立芸術大学で田中睦治氏。東京藝術大学で保科豊巳氏。
さすがに沖縄まで出かけることはできなかった。が、田中氏はカタログを送ってくれた。何度も何度も繰り返し見ている。
また、保科氏には会場で20年ぶりくらいに会った。繊細さと剛直さが共存している氏らしい作品群だった。氏もカタログをくれた。これも繰り返し見ている。
彼らの学年は皆優秀で、ぼんやりしていた私は本当に刺激を受けたし、いまも受け続けている。学生時代のことを考えると、いまでも特別な感情が蘇る。私は悶々としてばかりだった。あの時から注目し続けて来た連中が、やっと今、皆それぞれの「なりわい」から解放される時期になった。これからやっと作品に集中できるはず。私も同級生たちも同様である。それぞれどんな仕事ぶりを見せてくれるか、本当にますます楽しみだ。私も頑張る。
(2020年1月12日、東京にて)