藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ210 2022-02-10

府中美術館で「池内晶子:地のちからをあつめて」展

 よく晴れた気持ちの良い日だった。京王線・府中駅北口を出て、てくてく歩いて府中美術館に行った。
 公園で小学生の男の子たちが四、五人でチャンバラをやっていた。脇のベンチに座っている老人が迷惑そうにしていた。その間をすり抜けて、ロビーに入り、ロッカーに荷物を預けて、二階目指してエスカレーターに乗った。チケットを確認してもらったあと、お姉さんの指示通りに入口に垂れ下がる数枚の布の間をかいくぐって右側に折れ、第一室に入った。
 薄暗い照明の大きなスペースが奥にある部屋である。わずかな照明とはいえ、光を受けた床が、ニスで輝いている。周囲の“壁”も輝いている。周囲はガラスの“壁”なのだ。普段なら、ガラスの“壁”の向こうは、作品が置かれたり掛けられたりするスペースで、壁全体が備え付けの“什器”のようになっているのだが、今回は、ガラスの向こう側にベージュの“幕”が張り込まれていて、曖昧な鏡のようになっている。部屋全体がピカピカした印象だ。が、同時に、奥のスペースほぼ中央の赤い繊細な作品が目を捉えてくる。結界がある。作品の繊細さを強調している。結界は無視できないので、ある距離を持って作品を眺めることになる。
 池内晶子氏の作品を初めて見たのは、もうずいぶん前、東京都現代美術館でだったと思う。赤い糸を結びながら、繋ぎ合わせて作った実に繊細な、大きな巣のような作品が空中に浮かんでいた。その後も、画廊や美術館などで見てきた。作品は白糸が使われたりして、どんどん見えにくくなってきた。ある時など、上から2本の白糸が床面ギリギリまで下がっているだけの作品になっていた。
 そんなわけで、見えない、あるいは見えにくい作品だが、制作はいかにも大変な集中力を必要とするに違いない。
 長い時間がかかった、しかし作りかけの作品が、迷い込んできた仕事場の隣に住む人の飼うネコに台無しにされてしまった、という話を池内氏から聞いたことがある。その時は泣きました、と言った。泣いて泣いて、しかしその後、やはり糸を手にする池内氏の姿が見えるような気がした。
 それで、今回の作品である。赤い漏斗状の形状が大人の目の高さあたりに浮かんでいる。あ、浮かぶはずがない。壁からの4本の糸の張力で支えられて、空中にとどまっているのだ。“支え”の4本の糸は実に見えにくい。頑張っても、遠くの糸は全く見えない。見えないが、正確に東西南北を向いて止められているのだそうだ。
 宙空の漏斗の先端から一本の糸が下に延びて、床に広がる糸に繋がっているようである。その糸は池内氏によってクルクル回転させられながら床を一周、二周、、、とめぐっていく。結果、同心円状の形状をとどめた直径7メートルほどの繊細な赤い広がりが出来上がっている。会場で配布されている「ガイド」によれば、糸はひとつながりになっていて、総延長が2万2千メートルになった、という。その大部分が床に自分の重さを預けてはいるが、外側からの力が加われば直ちに形状を変えてしまう。四方に伸びる支えの糸もその張力がどのくらいの時間を耐えるのか、実に危うい。
 それにしても、赤いだけまだマシだが、実に見えにくい。夕方、寸法を測ろうと当てた物差しの目盛りが読み取りにくい、それが老眼の始まりだった。今では、老眼鏡を絶えず首からぶら下げている。老人をいじめる意図は池内氏にはないだろう。池内氏もメガネをかけて作業しているはずだ。
 見えない、見えにくい、と思いながらも、次第にこの状況に慣れてきて、見えなくてもいいではないか、という気持ちになってくるのが面白い。

二室の作品は、上から白い糸が一本、床ギリギリまで下げられている。文字にすればそれだけのことだ。糸には、たくさん結び目がある。なるほど、それで、真っ直ぐではないのである。薄暗くはあるがスポットライトを浴びているから、かろうじてこの白い糸を見つけることができた。上の方はどうなっているか。ほとんど見えない。壁から壁へ渡された糸で支えられてそこから下がっているらしい。南北に伸びたその支えの糸から、無数の結び目によってできる微妙なよじれをまといながら垂直方向、つまり地球の中心に向かって垂れ下がる糸。空調の風や観客の動きが巻き起こす風で、わずかに敏感に揺れる。
 三室はもっと薄暗い。結界があるがその先には暗がりが見えるばかりだ。ふと体を動かすと、いきなり、今まで体験したことない量感が襲ってくる。何かがある。目を凝らし、体の位置を移動させていくと、無数の赤い糸が視界の左右を横切っているのがかすかに見える。見えるが、見えない。見えないが見える。これらの糸たちは、左右の壁の上方に東西方向に繋げられて、床に接することなく垂れ下がって放物線を描いているらしい。とはいえ、その姿の全貌は見えない。
空調や観客の動きで糸たちが揺れているのは分かる。
 備え付けガラスの什器の中にも同じような作品があるが、東西に渡されたその作品の一部はガラスのコーナーに引っかかるに任せてある。
 奥の什器の中にも、もう一つの作品があるようだが、それは全く見えていない。見えなくてもいいのだ、そういう覚悟のようなものが清々しくもある。
 インスタレーションは一旦ここでおしまい。あとは、ドローイングや版画、小品、資料類、ビデオ映像などが並んでいる。
 ビデオにはロビーでの展示作業映像が含まれていたので、探してみるが、全くわからない。見かねた係のご婦人がヒントをくださって、辛うじて見つけることができた。南北の方向に22の結び目をつけた白い糸が実に高い位置に伸びていた。
 ビデオの中で、支えの糸が3ヶ月の長丁場に耐えられるかどうか、を心配している池内氏がいたが、もっと、2年、3年、、、20年、30年、、、と設営し続けて、やがて微細なホコリがからんで輪郭を曖昧にしながら呼吸し続ける池内作品も見てみたい。途中で切れたら切れたで、そのままにしておきたいような気もする。
 かつて、大きな部屋の壁と床との境目にずーっと、びっしり透明なビーズを繋いだ糸を這わせた内藤礼氏の作品にとても驚いた記憶があるが、あれとは別の意味で覚醒させられた思いのする展示だった。

(2022年2月10日 東京にて)


「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」展

会期:2021年12月18日(土曜日)から2022年2月27日(日曜日)まで
休館日:月曜日、2月24日(木曜日)
時間:午前10時から午後5時(入場は午後4時30分まで)
会場:府中市美術館
観覧料:一般700円(560円)、高校・大学生350円(280円)、小・中学生150円(120円)
()内は20名以上の団体料金。
未就学児および障害者手帳等をお持ちの方は無料。
常設展もご覧いただけます。
府中市内の小中学生は「府中っ子学びのパスポート」で無料。

公式HP
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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