藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ150 2019-11-01

「DECODE:出来事と記録」展 その1

越中富山のマンキンタン、鼻くそ丸めてセンキンタン、と、タマキン・ロビーで急に思い出したのだった。今日は天気もよかったし、表記の展覧会を見るためにタマキンに行ってきたのだ。会期末が近付いてしまっていたので、焦って行った。
 私どものようなツウになると、埼玉県立近代美術館はタマキンと呼ぶのである。ちなみに、鎌倉にあった神奈川県立美術館はカマキンと呼んできたが、本体が葉山に移っちゃったので、親しみある新しい呼び名をまだ確定できていない。ハヤキン、あるいはヤマキンあたりではどうだろうか。うーん。
 で、この「DECODE」展だが、今年亡くなってしまった関根伸夫氏が生前タマキンに寄贈していた氏の資料群が出るというので見逃せないと思ったのだった。特に、『位相—大地』(1968年)については、確認しておきたいことがあった。  
 それにはこういうわけがある。
 今年の春、あるところで、『位相—大地』はハリボテだった、という衝撃情報を含む文がある人の署名入りで公開されたのである。ハ、ハリボテ? 私はその文にその現場で接して、めまいさえ感じた。なので、私の見間違いではないか、と別の日にもう一度確認しにその文の前に出かけたくらいだった。入場料も払って。
 今や「もの派」の始まりとかいって、もう伝説的な『位相—大地』の“筒”の内部が空洞だとしたら、受け止め方が全く違ってくる。ほんとにハリボテだったの? 間違いないの?
 で、私は私なりにヒトに尋ねたり調べたりして、西宮市の大谷記念美術館で1996年に行われた『位相—大地の考古学』という展覧会に行き着いた。美術館に電話してそのカタログの在庫があることを確かめて取り寄せ、そこに収録されていた制作過程の多くの写真の図版を見た。なんども見たが、“筒”の内部に空洞を作るための仕掛けがあるような様子は確認できなかった。「確認できなかった」ということが確認できたにとどまったわけである。ただし、掘り出した土にセメントを混ぜ込んで水をかけながら型枠の中に積み上げて踏み固めていった、とはあった。が、土を固めていくというその工夫があったことと、ハリボテであることとは全く違うことである。
 『位相—大地』は、1970年の万博を始め、その後何度も再現されている。私も、2008年横浜の方の野外展で再現された『位相—大地』を見たことがある。ちょうど関根さんもいたので、家人に記念撮影してもらった。とっても嬉しかった。ボケボケだがここに掲載してもらおう。関根さんだ。
 あの時のように、「再現」の場合なら、作り方にいっそうの合理的な工夫があってもおかしくはない、と私は思う。重機も使うだろうし、型枠も立派なものを使うだろう。安全上の観点からすれば、ハリボテ状の構造を“筒”の内部に仕組むことだってあったかもしれない。土を固める方法さえ、セメントから“進化”している可能性もある。アメリカには恒久設置の『位相—大地』があるようなのだ。
 しかし、1968年の最初のものは違うだろう。それまでこの世にあんな作品はなかったのだ。件の写真図版をどう見ても、人力で穴を掘り、垂木とベニヤ板と荒縄で型枠を作って、掘り出した土を積み上げて作っている。なんらかの構造物が内部に作られている様子は確認できない。故吉田克朗氏や小清水漸氏など、須磨離宮公園での制作に関係した人たちの手記にもハリボテのことは出てこない。
 この「DECODE」展の会期中には、制作を手伝った“生き残り”=小清水漸氏がトークする日が設けられていたので、氏に直接尋ねてみたかったが、あいにくその日はタマキンに行けなかったのだ。
 そんなこんながあって、タマキンに出かけたわけである。「DECODE」展はとても面白かった。
→つづく

 

 

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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