藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ163 2020-02-10

土曜日の遠足

 天気予報が、冷え込むぞ! と驚かせていた土曜日は快晴。寒さはそれほどでもなかった。
 電車に乗って川を越えると「遠出」した気がするものだ。よし、遠足だ。目指すは、中浦和・別所沼公園。立原道造設計の「ヒヤシンスハウス」がそこにある(はずだ)。数日前の新聞に、小さな記事が出ていた。「早世の建築家、夢見た小屋」。
 この「小屋」のことは知っていた。ずっと興味もあったのに、どこにあるか知らなかった。調べようともしなかった。急に情報が“向こう”から飛び込んできたのである。逃す手はない。
 埼京線・中浦和駅ホームは高いところにある。周囲を眺めると、並んだ屋根の向こうに梢が集まっているところがあった。あそこだな。見当をつけて歩き出した。
 ものの数分で別所沼公園近くまで着いたが、入口がわからない。テキトーに行くと駐車場があった。突っ切れば公園の中に入れそうだ。ぐんぐん進むと、入れただけでなく、なんと、目の前にあっけなく目指す「ヒヤシンスハウス」があった。窓が開いていて人の気配がしていた。
 周囲をゆっくり一周して、外観を確認したあと、中に入った。
 明るくてじつにスッキリ心地いい。5坪ほどの「小屋」なのに、狭さを全く感じさせない。
 ボランティアらしきご婦人がいた。手際よくまとめられた『ヒアシンスハウス・ガイド』を手渡してくれた。ご婦人は、あくまでも控えめ。何か問われればそれに答える、というようにしている。押し付けがましくない。とても感じがいい。見学者の関心を重んじてくれている。かなりの時間をゆっくり過ごしながら、ご婦人から少しずつ教わった。
 小屋の構造を支える柱から離して外側に窓と雨戸とを作っている。それが広々とした印象を生んでいる。収納機能もあるベンチの前のテーブル、仕事机、出窓の下辺、これらの高さがほぼ同じで、しかし、ごくわずかに高さが異なって絶妙なリズムを感じさせているのも広さを感じさせている。一枚板の仕事机の一部がそのままベットの頭の上の方まで伸びている。これも実に効果的だ。窓の大きさ、配置がものすごくいい。太陽光を取り込む側の窓と仕事をする側との窓とがうまく役割分担されている。ベッドの脇の小さな出窓、惚れ惚れとする。暗がりの中にアクセントのように明るさを作り出している。トイレや“押入れ”の配置も絶妙、「小屋」内部の全体をスッキリさせている。
 でも、台所がない。ご婦人は、立原道造がこの小屋を構想していた時には、すでに結核が進んでいて、料理をしない(してはならない)ことが前提だった、と教えてくれた。切なすぎる。立原道造は24歳で亡くなった(そうだ)。
 また、ご婦人は、わざわざ雨戸を閉めてくれて、そこに小さく十字がくり抜かれていること、同じ十字が仕事机とセットになっている椅子の背にも切り抜かれていることを示してくれたりもした。
 玄関の作り、その玄関への飛び石と玄関脇に添えられた大きな直方体の石、小屋に居る/居ないを示すノボリをあげるための竿、その土台、、、。
 「ヒアシンスハウス」は、立原道造という人の構想力、細部まで納得いくまで分け入ろうとするデリカシーを十分すぎるほど感じさせてくれた。
 「ヒアシンスハウス」をあとにして、北浦和のタマキン(埼玉県立近代美術館)を目指してみた。そう遠くもないだろう、と方角の見当だけつけて、前方に伸びる自分の影に従ってどんどん歩いた。二十分間くらいか、ぴったりタマキンの「搬入口」のある通りに着いた。ほら、おいら、やるじゃん。
つづく→

 

 

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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