藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ156 2019-12-18

「ダムタイプ」展 その1

東京都現代美術館で「ダムタイプ」展をみた。
 昔、ある女子大で非常勤の教員として「基礎造形」という科目を教えていたことがあった。ロックバンドをやっているという学生がいて、センセ、ゴダールの『ワンプラスワン』っていう映画のビデオ持ってる? と言うので、持ってる、と答えると、見せて、と言った。いいけどせっかくだから、と次の授業の後に教室のスクリーンに大きく映そうという事になった。音も大きくして。
 で当日、思いがけない事に、結構多くの学生が授業後も居残って当該ビデオを“鑑賞”し、勢いで次の週も何か映すことになった。
 次の週は、やはりゴダールの『勝手にしやがれ』を映したのだが、終わってから、なんでこんなひどい映画を見せるの? と詰め寄ってくる学生がいた。わけが分からずにいると、だって不良の映画じゃないの、と言うのだった。
 で、次の週は「不良」とは反対側の主人公を扱った押井守の『攻殻機動隊』を持って行った。今度は、かっこいい!とすごくウケた。
 次の週はダムタイプの『p H』を持って行った。そしたら、すっごくかっこいい!とさらにウケた。ウケているのはダムタイプなのに、私までウケたような気がしてまんざらでもなかった。
 そんなわけで、ダムタイプは女子大生にもかっこよかったのである。
 あれから多くの時を経て、ダムタイプは今もかっこいいか? これがこの展覧会の見どころであろう。 
 で、早くも結論だが、今も十分かっこよかった。
 どうかっこいいか? それを説明するのは厄介だ。が、駆け足でやってみよう。
 ともかく、デジタル技術を軽々と使いこなしていること。映像編集はもとより、プロジェクター・照明機器・音響機器など各種の装置の制御、印刷物の版下づくりなどなど、その技は当時の最先端だっただろう。
 そのアナロジーと言ってもよいだろうが、ダムタイプの作品には方形のグリット構造が度々登場し、映像や装置の中にその場をスキャンするかのようなか細い直線が水平/垂直に移動し、コマ切れの電子音が発せられる。つまり、日常のアナログ世界から“飛躍”したデジタル世界を暗示する記号がこの会場の随所にも満ち満ちている。生活感がまったく無くて、かっこよさだけがある、と言ってもいいかもしれない。そこにダンスが加わる。これらの相乗効果。
 だから、今回の展示でも、不要な視覚要素を極端なまでに排除している。例えば、「Playback」をはじめとした現代美術館会場の床を明度の低い敷物で覆いつくし、装置を駆動させるための電気コード類はその敷物間のわずかな隙間にはめ込んで目立たぬようにしてあったりする。あるいは、コード類など“裏側”を覗き込める会場設営の「MEMORANNDUM OR BOYAGE」のような場合でも、その効果がきちんと計算されている。芸が細かいのである。さすが「京都」だ。
 「Playback」では、4×4=16台の装置が等間隔に並んで音を発している。大人の胸ほどの高さの枠におさめられたそれらの同一形状の装置は、確かに“ターンテーブル”ではあるが、そこに乗せられた樹脂製の分厚い円盤(=レコード)、スピーカー、アンプなど、全て特別にデザインされた1セットなので、直角やエッジ、それから隙間が“決まって”いて、それ自体がかっこいい。それが16台。あちこちのスピーカーから様々な音や音声が、途切れ途切れに、ある場合は単発で、ある場合はズレたり、重なって発せられる。そうした音響設定のアイディア自体はありふれたものではあるが、グリットを強調し抜いたその場の様相はある特別な感興を生じさせている。
つづく→

つづく→

画像:Dumb Type 《Playback》 © Centre Pompidou -Metz / Photo Jacqueline Trichard/ 2018/Exposition Dumb Type

 

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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