画材のトリビア

画材1 2023-04-28

チューブ入り絵具が絵画にもたらしたもの(前編)

永年、美術大学の1回生対象に材料学の講義を行ってきたが、いつも最初に「絵具とは何かを定義してちょうだい。」と問いかける。ほとんどの学生はそれまで、自分で絵具を作ったという経験が皆無なので、「・・・・」ということになる。まあ、それも無理はないだろう。ところが、たまに「絵を描くための道具でチューブに入っているもの。」という答えが返ってきたりする。これはなかなか面白い答えで、内心「しめしめ」と思っていたりする。

 「では、パンカラーやケーキカラーといった固形の絵具はチューブに入っていないが、これも絵具やろか。」とたたみかけると「それは例外です。」と返って来る。「なるほど! ではパステルは絵具だろうか、チョークは絵具だろうか。」とさらにたたみかけると、ついには「・・・・」となる。

 これらは絵具というものを最初から存在する・・つまり元からあるものとして認識しており、中身を問われているのに、それの収められている形態によって捉えようとするからである。答えは単純で、「色の粉(顔料)と接着剤の混ざったもの」ということになる。カラースプレーもパンカラーもチューブには入っていないが、紛れもなく絵具である。パステルは、(パステル+フィキサチフ)ならば絵具といえるだろう。ところで、中国で「顔料」と書いてあれば、それは「絵具」を指していたりするので、私の定義は多分に日本的なものなのかもしれない。

 さて、本筋から遠回りをしてしまったが、今、我々が使っている金属チューブなるものがいつ発明されたのかというと、1841年の事らしい。それも工業的に作られて多量に普及してくるのはもっと後年である。フランスのルフラン&ブルジョー社は1720年の創業で、ウィンザー&ニュートン社は1832年の創業だから、世界の老舗絵具メーカーも最初はチューブ入り絵具など売っていなかった。ウィンザー&ニュートン社は1840年には、注射器型の絵具容器を開発しているから、しばらくはこの注射器型の容器を使用していたものと思われる。しかし、考えてみてもわかるが、油絵具を注射器の中に入れて押し出すのは、たとえスクリュー式であってもしんどい。そして、完全密閉できずに押し出し部分や先端から酸素が入って硬くなり、「なんやこれ、出にくいなあ。」という事になっただろうことは想像できる。

 絵画の歴史の起源を問われると、諸説あって一概に答えられない。6万年前とも言われるスペインのラパシエガ洞窟の洞窟壁画あたりを起源とするのか、13世紀には成立していたフレスコ画くらいからと考えるべきか。いずれにしても、その長い歴史の中で、チューブ入り絵具の登場するのは、ごく最近の事と言うべきである。少なくとも絵具メーカーが台頭してくる前は、絵具は画家もしくはその主催する工房で作られていたわけだから、それらはその場で使われるのが普通だったはずだ。もしくはよく知られているように豚の膀胱のように伸び縮みするものの中に保存されていた。当然、それらは長持ちせず、短期間で使い切らなければならなかった。また、余談ながら、水彩絵具は基本、小さなお皿(パン)に入れて乾かして使われた。それがパンカラーの起源であり、今はシャーレに入れて売られている。イギリスでは軍隊が移動する際に地形が平坦で見分けがつきにくく、地図として絵が描かれたらしい。その時に携行しやすいパンカラーを使った事がターナーなどイギリスで水彩画が隆盛となる一因となった。日本人は水彩というと、子供の時に使った学童用水彩のイメージから、チューブいりのものを本来のものと思うかもしれないが、実はパンカラーこそが本来の水彩絵具の形だった訳である。私の話はつどつど、本筋から逸れていくので申し訳ないが、本当に言いたいことは、これから先である。次回はそのチューブの出現によって、変わってしまった絵の世界について話をしよう。

小杉弘明

小杉弘明氏による画材のトリビアコラムを連載します。

小杉弘明 プロフィール

1954年 大阪出身。

1977年 大阪府立大学 工学部応用化学科卒。

元ホルベイン工業株式会社 技術部長。

現カルチャーセンター講師。

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