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  • 2013-07-13
  • 色の不思議あれこれ007
  • ▸円空展をみて考えたこと
  •  東京国立博物館での「円空展」を見た。
     一月の開始早々見に行ってきた。すぐにこの文を書こうと思ったが、毎日慌ただしくしているうちに今日になってしまった。あんなに寒かったのに、もうすでに桜が散り始めてしまっている。書こうと思っていたこともあやふやになってしまった。物忘れが激しいのだ。
     で、今日、もう一回行ってきた。
     久しぶりに晴れ渡って暖かいので、上野公園は人でいっぱいだった。公園だけでなく、「円空展」の会場も大変混み合っていた。混み合ってはいたが、私が確認したかったのは、実にシンプルなことだったので、人混みなど気にもならなかった。
     何を確認したかったのか?
     展示台上にさりげなく置かれた小さな反射板を確認したかったのである。
     展示台はマットな黒。そこに円空仏が置かれている。いくつかの円空仏の前に、小さな反射板が添えられていた。その反射板がどんな作りだったか、記憶が曖昧になってしまったのだ。
     確認した反射板はこんな具合だった。
     おそらくはガラス製の鏡。その鏡の表面に、サンドブラストをざっと当てて微細な凸凹を作り、曇りガラスよりもう少し“曇っていない”表面にして入射する光を限定し散乱させて、反射を和らげている。ちいさな手鏡位からさらに小さな大きさのものまで、じつにシンプルなものである。水平のもの、傾斜したものがあり、傾斜の角度は光源と反射光を当てる箇所によって調整してある。どれも、きちんと側面を処理してある。わざわざ確認するまでもないようなシンプルさであった。
     この反射板のおかげで、円空仏の表情がやわらぎ、細部にも目が届く。反射板が置かれた円空仏は16体。うち1体にはふたつの反射板が使われていたから、反射板は17枚だった。こうしたシンプルな方法で照明を工夫していることが、いろいろな意味で主催者の愛情を感じさせられた。私はこういうさりげない配慮が好きだ。
     この展覧会の呼び物は「両面宿儺坐像」だ。ちょっと特別扱いされていた。まず、大木の根や幹を表した大掛かりな造形物の演出があった。さらに下方からライトが当たっていた。シンプルな反射板では呼び物にふさわしくない、と言っているかのよう。もちろんそれは冗談。天井の照明具との関係で、反射光で処理することが不可能だったのだろう。
     天井には照明具のために電気を通した四つの四角い枠や数本のレールが吊るされており、二階“バルコニー”状のところにも同様の枠が設置されている。これらを用いた照明具と「両面宿儺坐像」との位置関係が、下方からの補助光をどうしても必要としたのだろう。
     下方からのライトは「千手観音菩薩立像」と「聖観音菩薩立像」とのそれぞれにも当てられていたが、それが特別な意味、つまり、これらの円空物は特別です、というような意味を含んでのこととは考えたくない。また、上部にLEDを仕込んだ特別のケースにおさめられた8体についても、同様、特別な意味を読み取るべきではないはずだ。
     主たる照明に対して、補助光、反射光をどうするか、というのは、立体をどう感じさせたいのか、という問題に繋がっている。写真撮影においても、照明や反射光の扱い方が極めて重要であることは言うまでもない。壁上の平面を撮影するような単純な状況の際でも、床面に白い模造紙とか白い布とかを敷くだけで、その平面に当たっている光の明るさのかたよりを補正できる。ある写真家から教わった。紙や布のようなありふれたもので反射光を作り出すわけである。白いものならどんなものでも使える。一種のブリコラージュだろう。
  •  街でタレントやモデルを写真撮影している現場に出くわす時には、モデルさんとカメラマン以外に数名のスタッフが立ち会っているのが普通だが、その中には、円の形状をした銀色の「レフ板」を持っている人が必ず含まれている。反射光を当てて、陰影の現れの度合いを調整しているのだ。露出の設定によっては、写真になった時、光が当たって明るいところがハレーションを生じて“とんで”しまったり、陰影の部分が“つぶれて”しまったりすることをレフ板からの反射光で回避するのである。素朴、といってもレフ板はよく考えられて作られており、持ち運びするのに実に重宝だ。今はデジタルカメラが席巻しているので、多少のことはコンピュータで補正できるが、それでもなお、レフ板の威力は絶大である。
     「円空展」に置かれていたのはレフ板のように大きな目立つものではない。手鏡よりももっと小さなものである。その小さなものが、たとえば「如意輪観音菩薩坐像」の手首や下あごを照らし出している様子を見ると、主催者がこの円空仏のどんな表情を見て欲しいと思っているかさえ感じ取れるような気がしたのである。
     この展覧会は多くの雑誌に取り上げられ、彫刻家の棚田康司氏が実際に模刻・再現しながら円空のことをいろいろ考える、というような特集もあって興味深かったが、私なりに会場で思ったのは、像の背面が平たいというもともとの部材の特徴をどう生かし、乗り越えているかが見どころのひとつではないか、ということである。立木に彫った例や、「両面宿儺坐像」のように明らかに四角柱から掘り出したものに対して、円空仏の多くは三角柱。である。その三角柱の平らな方を背面にしている。のこぎりで挽いて作り出したような平面もあるが、安置された仏像を後ろ側から見ることはほとんどないことが大きいだろう。残りの二面は斧で断ち割ったようにして作られ、その尖ったほうを前面にして彫り出している。つまり、前から見ると、両側面が垂直に切り立っている。ここに彫り込んでいる。
     こうした元々の限定された条件をどう生かし乗り越えるているか、これを観察すると、無駄のないじつにシンプルな方法でキワに実に豊かな表情を作り上げているのが見て取れる。
     また、台座も形である、というような確かな意識を、たとえば「千手観音菩薩立像」や「龍頭観音菩薩立像」から感じさせられて驚いた。
     そんなことはともかく、会期ももうわずかしか残されていない。まだの人はぜひ足を運ばれるとよい。反射板だけでなく見どころ満載である。
    (2013年4月4日、東京にて)
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