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  • 2015-10-21
  • 色の不思議あれこれ033
  • ▸井上有一展をみた(1)
  • 東京・智美術館で「遠くて近い 井上有一展」をみた。春にこの展覧会のことを知ってから、早くみたい、と思いながら、ぐずぐずしていて、もう会期終了間際になった。カタログは既に売り切れ。だから、いま手元にはこの展覧会の何の資料もない。たよりない記憶だけしかないが、メモしておきたい。
    この人のことは、偶然にテレビで見て知った。随分昔のことだ。
    テレビには、何事か唱えながらものすごい勢いで字を書く人が映っていた。気に入らないところは、えい、えいっ、と線で消して、かまわず書き続ける。唱えているのは書こうとしているその言葉の連なり。というか、頭にある言葉を唱え、間髪入れずそれを書き取っているようだった。げんごろうがどうだとか、みずすましがこうだとか、確かそんなことを唱えていた。ときおり、手に摘んでいる筆記具が折れて飛ぶ。それでもかまわず、唱え続け、書き続ける。はげ頭、度の強そうな眼鏡、その集中度、決してきれいとか上手とかいうのではない異様な文字。これは何だ、と思わず見入って「井上有一」という名前を覚えたのだ。その後いろいろな所で何度かみた映像によれば、それは1984年に制作・放映されたNHKの「こころの時代」という番組だったらしい。ふだんならほとんど見ることのない番組だった。以来、『日々の絶筆』というこの人の本を読んだり、埼玉県立近代美術館などでの展覧会をみたりして関心を持ち続けてきた。
    勤務してきた学校のホールにはこの人の「瓜」という大きな書が掲げられている。学校のある場所が瓜生山という地名だから、ということもあろうが、学校の創設者が寄せた、あの「噫横川国民学校」の作者、井上有一への敬意や共感を感じさせてくれていた。かつては学校を会場にして井上有一をめぐる大掛かりなシンポジウムも開催されてきたらしい。その創設者も昨年亡くなった。
    篠田桃紅などによる智美術館の凝りに凝った階段を降ると直ちに、正面に「月山」という大作がみえる。そして右側壁に、この展覧会の告知チラシに大きくレイアウトされていた「必死三昧」がみえる。左側奥には新聞紙にポスターカラーを薄く黒く塗ったうえに金泥やアルミ粉で書かれた短冊様の作品やおなかに狼大明神と彫り込まれた陶の小さな立体が展示されている。
    この展覧会を是非みたい、と思ったのは、チラシになったその「必死三昧」の左側に黒い色面(あ、「色面」ではないか、色面の右側上には墨の飛沫らしき形、と紙の左上隅と紙の左下隅にごくごく小さな白い形がそれぞれふたつずつあるから、これは上から下へとはみ出しつつ引かれた太い線と言うべきか)、ともかくその黒の意味が知りたい、と思ったからだ。なぜそう思ったか、というと、文字ではない領域のその黒が“決まっている”と感じたからである。黒の面積が紙の左側に広がっているのといないのとでは大違い。あきらかに意識的な黒の広がりなのである。
  • 書家って、字を書くだけでなくこういうこともするのだろうか? あるいは、こういうことをすることを前提に、はじめから紙の右側に文字を寄せて書いたのだろうか? それとも単純に反故の紙を再利用してトリミングしたのだろうか? あるいは別の文字が書かれようとして消されただけなのだろうか? …そういうことを知りたかったのである。

    つづく
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